隠レ蓑

お山の日記と、日々の懊悩

敗退の記

滝や壁(というか、なにがしかのルート)を前にしたとき、不必要な種類の恐怖心で心がいっぱいになっているときがある。言い換えれば、始まってもいないのに、いきなり追い込まれていて、どうにも集中力を欠いた状態になっているということだ。いま登ろうとしている滝の威圧感や困難さを目の当たりにしたことで、恐怖心におののき出したわけではない。山行以前にすでに自分がダメな状態で、アプローチの山歩きもおぼつかず、滝によってダメの現実的なダメ押しをされたということだ。

原因はいろいろあると思われ、日常生活の面では、前日の仕事で疲れきっているとか、ふつうに体調が悪いとか、悩み事があって気もそぞろになっているとか、山行に集中できない理由は他にも様々だろう。また山行にあたっては、無論、そのルートが自分には無理なんじゃないかと思っていたり、目前にして条件の悪さなどにガビーンときたり、威圧感に圧倒されてビビったりすることなどもあるだろう。また、それ以前に山に対してなんとなく気乗りしていないときも稀にある(結局、一言でいえば、これかもしれないが)。原因の同定は、能力も気力も不足した人間ゆえに一筋縄ではいかない。

しかし、そういうときは大抵前日からそうなる予感がしていることがほとんどだ。今回も。山を歩き始めれば大丈夫かも、と思って、とにかく家を出るが、準備の最中ダメな自分を自覚しているし、歩き始めた時点で終わっている自分を確信する。そういうときの自分がいかばかりのものかは分かっているし、そういうときは常に単独だ。

この滝は残置もいっぱいなのを知っているし、いざ目の前にして登れると思う自分もいないわけではない。しかし、今日はダメなのだ。集中できない。滝の難易度はあまり関係ない。自分が本当に取り付いてよいものか、ひとしきり悩み、どうせ適当なところで敗退するのだろう、とあらかじめ結論しながら、テラスの上のあそこのボルトくらいまで、と登り出した。落ち葉が重く堆積しており、ホールドの形状がよく分からない。掃除しても滑ってしまいそうだ。軍手が汚れる。ホールドがどれも脆く、グラグラしている。参考に拝見した記録の時からすると崩壊したんじゃなかろうか。などなど、すぐに言い訳が始まる。いたずらに浮石を落としまくってみる。いつもは自信をもってやっているムーブがなかなか起こせない。むしろ危険と知りつつ、カムを浮石の隙間に入れそうになる。無駄にぬめる。呼吸が早い。怖い。

ふと、滝の背部の崖から、落石の派手な轟音が鳴り響いた。あの轟音はいつ聞いても恐ろしいものだ。落石は数度砕けて、一抱えはありそうな大きな破片が、滝の基部にデポしていた自分のザックを直撃した。それを目の当たりにして、ようやくダメになっている自分を受け入れ、下降した。

何年か前、前泊で車中泊した、東北の人里離れた、だだっぴろいレストハウスを思い出した。広大な駐車場は真っ暗で、車は自分の1台だけだった。小さな子供のように一人でトイレに行けなかった。なんていうか、激しく寂しかった。ダメになっちゃった。翌朝入渓したが、夜を一人、真っ暗な沢で過ごす気になれず、エスケープした。

そうだなぁ、山は正直あまり関係ないのかもしれないなぁ。自分の内部の問題、という側面が大きいのだろう。強いクライマーや、強くなるんだろうなと思わせるクライマーが、あっと言う間に越えていくであろう小さな壁が、自分にはでかい。時に、とてつもなくでかくなる。ちょっとしたことでモチベーションを喪失し、何かにその責任を転嫁しようと立ち止まり、いつまでも解決策を見いだせずに、同じところを行きつ戻りつしている。そんな次元で登っているし、これからもそうなのだろう。自分の程度を知り、分相応に登ったほうがよい。それでも、少しずつながら上達していけることは、一応分かっている。

 (ネット検索でこんなんがひっかかっても申し訳ないので、滝の名前は伏せる・・。雨の棚である。まあ、次回行くことがあれば普通に登れるだろう。)