隠レ蓑

お山の日記と、日々の懊悩

終わりのない虫対策

(1)緒言 ~虫に弱い人の気持ちは、虫に弱い人にしか分からない~

まずここでは「虫」とは蚊・ブヨ・ヌカカ・アブなどといった吸血してくる羽虫、いわゆる「蚊」の延長上に括られる虫ということに緩く定義しておきたい。虫といっても数多くあり、その種類ごとに対策が異なるし、そのなかでも最も不快で最も被害を受けているのが「蚊」だからである・・・。

さて、登山で虫に刺されるという多くの人たちが、多種多様な対策を行っていることと思う。なかでもハッカ油やディートの入った虫除けスプレーがポピュラーかつ有効とされている。特に、自作した高濃度のハッカ油をこまめに噴射しておくことで虫に刺されない、などと語られていることが多い。このようなスプレー系の虫除けが、虫対策の代名詞として重宝されているのは紛れもない事実といえる。

最初にはっきりさせておきたい。ハッカ油だろうが何だろうが、虫除けスプレーの類は山ではまったく効かない。いかに大量に噴射しようが、まったくもって無意味だ。それによって虫に刺されなくなる、あるいは、自分の周りから虫が(一時的にでも)いなくなる、などということはない。「虫は結構いたけど、虫除けしたから大丈夫だった」などというのは、もともと虫に弱くはない人たちの意見に過ぎない。

思い起こしてほしい。例えば、標高の低い河原や樹林帯で幕営した際、他の人は「昨晩は蚊がいたようだが大丈夫だった? 自分は大丈夫だったけど。・・ていうか、だ、大丈夫?」と言われたことがあるはずだ。そう、あなたは、瞼が腫れ上がって目も開けられないし、それどころか顔中刺されて試合後のボクサーのようにボコボコになっている。手も首も耳の後ろも、数十か所、ひどいときは体中100か所を優に超えて刺されている。虫に刺されやすいから虫除けしたのに・・、また失敗してしまった。「皆さんに蚊の被害がなかったのが、せめてもの救いです・・・」

本論は、このように自分だけが虚しく、そして気が狂いそうになる虫の被害に遭う、ごく一部の人だけに向けて書いています。早い話が「虫除けスプレー」はまったく効かない、唯一の効果的な対策は「物理的に虫を防ぐ」ことだ、そしてその対策を具体的にどのようにやったらよいのか、という話です。

 

 

(2)失敗のケーススタディ(すべて沢登り)

A 台高・東ノ川本流での幕営

夏の盛りの単独の沢登りだった。土地柄、標高の低いところを流れているので、幕営したところも620mくらいのところだった。夜も気温が大して下がらないし、豊かな緑に囲まれているため、虫がもともと多かった。タープを立てて焚火を始めた明るいうちはそれほどでもなかったが、夜になり夜行性の蚊が出てきた。シュラフカバーに入ってからしばらくして焚火も細くなってくると、その連中が大量にたかってきた。耳元でブンブン気が狂いそうな羽音がするのでシュラフカバーを頭から被ったが、蚊ごと被り込んでしまったようだった。そして暑くて一睡もできずに朝を迎え、確認するとどうやら百か所以上刺されていた。特に背中を大量に刺されていた。寝不足とイライラが募り、即エスケープを決めて下山。帰りに寄った温泉の鏡には人相が変わった自分が写っていて、顔も体も虫刺されで赤くボコボコになっていた。周りにジロジロ見られ恥ずかしい思いをした。

⇒【幕営時の失敗】状況的にタープは不可。タープなら蚊帳を持つべき。あるいはツエルトなどにすべき。また蚊取り線香をたくなど付加的な対策もすべき。さらに蚊帳もツエルトもないなら防虫ネットなど物理的に虫を防ぐ手立てを少しでも講じるべきだった。

 
B ガンガラシバナ(今早出沢)での幕営

今までで一番ひどかった。標高500mくらいの河原でタープを張り幕営。8月でアブがすごくて、行動中はアブ柱が立っていた。焚火を始めて少し落ち着いたが、夜になるとともに蚊が大量にわいてきた。タープは本当に大失敗。どうして蚊帳をもってこなかったんだろう。低山だったため夜も気温が高く、薄手の寝袋でも暑くて被っていられない。寝袋は顔部分に防虫ネットがつけられるタイプのものだったが、寝がえりを打つうちにずれて蚊が入ったようで無意味だった。またもや蚊ごと被ってしまった。さらに虫除けと思って軍手をしていたが、小さいタイプの蚊に軍手は無意味だったようで、網目から大量に刺された。また衣服の上からも大量に刺された。結果として、朝起きると全身400か所以上刺されていて、ショック死するのではないかと驚き、落ち込んだ。(さらにこの時はチャドクガか何かにもやられていたようで、手が赤い水ぶくれだらけになっていて、伝染病かと思うくらいグロテスクな有様だった)。

⇒【幕営時の失敗】タープなら蚊帳をなぜ持って行かなかった? 自業自得としか言いようがない。手の赤い水ぶくれも含めて、我ながら同情できない。同じ失敗を何度繰り返す気か? アナフィラキシーでも起こしてみたいのか?

 
C 南アルプス新南部・明神谷の下山

明神谷源頭から縦走してきた小無間山からは、北東尾根をバリエーション的に下山する行程だった。しばらく下り、時間は15~16時のブヨがホットになる時間帯。標高としては1500m前後くらいだろうか、深南部の樹林帯は低山域ではブヨの活動が非常に盛んな気がする。そのとき露出していた耳元に後ろから激しく突撃してくる羽音を幾度か感じ、バケットハットを耳が隠れるように被って、その上からヘルメットを被った。が、あまり意味がなかったようで、その後もブヨの突撃を何度も何度も受け、その都度払い落としたつもりが、耳たぶと耳の後ろ、そして頬を何か所も刺されていた。顔の横幅がとてつもなく腫れ上がり人相が変わった。治るまでかなりの時間がかかった。

⇒【行動中(下山中)の失敗】ハッカ油は大量噴射していたが、そんなものに効果はないことを自覚すべき。もっと物理的に虫を防ぐ手だてを考えるべき。その都度手で払って対処しようというスタイルでは根本的に虫は防げない。

 
D 吾妻連峰・中津川本流の下山

15時ごろに登山道に詰め上げ下山を開始した。しばらく登山道を登ったり下りたりして、17時半ごろ1900mくらいの小ピークで休憩していたとき、ヌカカと思われる大群に取り囲まれた。慌てて防虫ネットを被ったが、軍手と長袖シャツの間に露出していた手首部分をかなり連打された。その後、18時半ごろ1400mくらいで一本休憩を入れたときには、今度は蚊が大量に出てきた。あと少しで下山完了のところだったためか、気持ちが大きくなっていて、自作の高濃度ハッカ油を蚊を見つけては大量噴射していたが、見えていなかった蚊に、首や頬や耳を何か所も刺されていた。気が付いて慌てて防虫ネットを被りなおしたときはもう遅かった。

⇒【行動中(下山中)の失敗】物理的に虫を防ぐ手立てをもっていても、それを必要な時に確実に実現していなければ意味はない。今回は大丈夫だ、などの安易な驕りは捨てるべき。

 
 番外1 御神楽沢奥壁のアプローチ

標高270mくらいの駐車スペースまでのアプローチだった。樹林帯のなか未舗装の林道を奥まで進み駐車し、外にシートを引いて宴会してそのままそこらへんでシュラフカバーに入って寝た。宴会中は虫はぜんぜんいないなぁと思っていて、テントは持ってきていたが、暑いしオープンビバークでいいや、と思ったのである。しかし、実際は虫はたくさんいて、右を向いてシュラフカバーに入っていたので、顔の左半分だけ40か所ほど刺されてしまった。夜半過ぎに蚊の不快な羽音に気づいて起き、慌てて頭からシュラフカバーを被って寝たが、時すでに遅しだった。

⇒【油断】酒が入ると判断が甘くなる。当然の報いを受けた。また同じミスを繰り返すのか、対策をして繰り返さないのか、そろそろどちらかに決めたらどうだ?

 
番外2  カンボジアでのとある夜

20年近く前、学生の頃行ったカンボジアのとあるゲストハウスで、野外のテラスで夜話し込んでいた。蚊が大量に飛んでいたが、蚊取り線香もしていたし気にしなかった。その間、何か所か忘れたが大量に刺されたのだが、まぁ大丈夫だろと気にしなかった。しかし悪い蚊がいたのか、次の朝かその次の朝か忘れたが、高熱を発してベッドから身動きができなくなった。熱は40度を超え、痛みと痺れで瞼も開けられなかった覚えがある。馴染みのゲストハウスだったのでスタッフの人たちが看病してくれ、2日後にやっと動けるようになり、安静にしてたらやがて治ったようだった。あれはデング熱だったのか、何かのショックだったのか、医者に行っていないのでよくわからないが、やっぱ原因は蚊なのだろうか。症状はデング熱そのものだった。でも果物を生で食べたような気もするし、結局原因が何だったのか、もう分からない。

⇒【油断】記憶も定かではないが、ベッドで悶絶し、ひょっとして異国の地で死ぬのか、といっとき絶望したが、そんな絶望に価値はない。自分のことを分かっていなかっただけだ。

 

 

(3)対策の根幹 〜幕営時と行動中〜

前述のケーススタディというか失敗談は、主に記憶している最近の山行から失敗の例をいくつか挙げたものである。振り返るまでもなく失敗は幕営行動中(特に下山の時間帯)に大別することができる。以下にそれぞれ対策を述べたい。

 

A 幕営

幕営とはすなわち定着して夜を明かすことで、同じ場所に少なくとも数時間はとどまり続けるという、虫対策の観点からすればかなりの危険行為である。①そこは安全な幕営地かどうか、②幕営のスタイル、③シュラフ(またはシュラフカバー)の有無、④半袖など肌の露出の有無、⑤蚊取り線香や焚火、インセクトシールドなど付加的な対策の有無、そして後述の「B 行動時」の対策、といった要素があると考えている。幕営時の特徴としては、虫対策に失敗したときのダメージが非常に大きいが、一方で対策は比較的シンプルでやりやすいと言うことができるだろう。以下詳述したい。

①そこは安全な幕営地かどうか:どこを今晩の幕営地にするかで身の安全が決まるといってよい。まずはテントやタープを張る立地をよくよく検討し、虫どもがどれくらい蔓延っているか行動中から把握しておきたい。当然ながら夏の低山の樹林帯や沢沿いは危険地帯である。会越など山域によっては危険地帯しかない場合もむろんある。気温も重要な要素で、暑けりゃ出てくる可能性があるので、わざわざ雪渓の近くに張ることもあるだろう。危険を承知で水辺に張ることもある。焚火や蚊取り線香と寝る場所との位置関係もまた重要である。今晩の幕営地について、自身の経験値やこれら複合的な要素から虫どもがいると判断すれば、実際はいなかったとしても万全に対策を予定する。逆に2500mを越えるアルプスの稜線上での幕営ならそもそもテントだろうし、検討は要しない。

①を十分検討した上で、以下②〜⑤を軸にして後述の「B 行動時」の対策を適宜取り入れるのが、いまやっている対策である。

幕営のスタイル:テント・ツエルト・タープ・蚊帳・オープンなどスタイルは様々であろうが、基本はテント・ツエルトなど遮断できるものがよい。タープならば蚊帳が必要である。オープンビバークは山域によっては完全なる自殺行為である。ときに虫が皆無な素敵な幕営地もあるが、蚊帳などが多少の荷の重みになったとしても、備えあれば憂いなしを実行しておくに越したことはない。

シュラフ(またはシュラフカバー)の有無・④半袖など肌の露出の有無:テントやツエルトなら心配はほぼないだろう。ただし蚊帳の場合は出来るだけ肌の露出は避けたほうがよい。なぜなら蚊帳内でヘッドライトを灯せば寄って来るし、穴があれば侵入してくるし、肌がアミの弛みなどに密着しているとそこから刺されるからだ。タープだけの野外であればシュラフシュラフカバーは当然あったほうがよいし、肌の露出などもってのほかだ。その場合は後述の行動中の対策も適宜取り入れたほうが被害が小さくなるかもしれないが、首より上を中心に相応の被害を受ける覚悟が必要だろう。

蚊取り線香や焚火、インセクトシールドなど付加的な対策:もし蚊取り線香があるなら、多少の効果は見込めると思うので一晩中たいたほうがよい。当然ながら焚火もたやさないほうがよい。インセクトシールド衣料の効き目は残念ながらよく分からない。ないと考えたほうが無難だと思う。

※使っているものは以下(おすすめとは限らないのでご了承ください)

 

B 行動中

特に夕方から夜にかけての、いわゆる下山の時間帯である。さらには比較的標高の低い樹林帯や沢沿いなどは危険地帯である。夕方はブヨどもの突撃を受けたり、ヌカカどもの大群に突っ込んだりするし、夜の帳が下りれば今度はヘッドライトの光に様々な虫どもが集合してきて閉口し、すこし立ち止まればたちまち虫どものサンドバッグと化すだろう。先に述べたとおり虫除けスプレーは役に立たない。また歩き続けているため、例えば蚊取り線香を腰からぶら下げても意味はあまりない。つまり虫を除けようとする対策は失敗するのが目に見えているのだ。したがって、虫にたかられても刺されない対策、すなわち物理的に虫を防ぐ対策を講じる必要がある。これはいくつかのレベルに分けて考えおり、「首から下」は長袖長ズボンかつ手袋(軍手)、「首から上」はバケットハット・夏用ネックゲイター・防虫ネット・安い軽量ヤッケの組み合わせという対策内容である。以下写真を掲出して詳述したい。

長袖長ズボン、かつ手袋(軍手)を基本として、対策レベルを分けて首より上をシンプルに対策するスタイルに最近落ち着いた。特にレベル3のネックゲーターは大きな役割を果たしている。レベルが上がれば対策効果も上がるが、一方で快適度は下がる。(なお沢登りが多いため、ヘルメットは虫対策に関係なく常に被っている。)

レベル1:虫どもの存在を感じないため、基本以外は特に対策しない。

レベル2:念のためバケットハットを被る(Picture 1)。ただしバケットハットは頭部を軽く覆っているだけなので、虫どもを物理的に防ぐ効果はあまりない。

レベル3バケットハットに加え、夏用ネックゲーターを被り、適宜位置の調節をする。すなわち、あまり危険を感じなければ念のために首に被っておくだけにする(Picture 2)、耳や頬などを守っておきたければ後頭部まで被って顎を出す(Picture 3)、さらに危険を感じれば鼻まで覆う(Picture 4)、といった段階を作る。夕方の魔の時間帯は被りっぱなしにして調節するのが無難である。なお私は首が苦しいのが嫌いなので、ネックゲーターは上下逆にして被っている。バケットハットはその際ネックゲーターを後頭部に止めておく役割もある。そして視界が狭くなり呼吸も快適ではなくなる。厳しい登攀はとてもできなくなるので、その点は注意を要する。

レベル4:さらに防虫ネットを被る(Picture 5)。ただし防虫ネットは藪や岩角などに引っかかると一瞬で穴が開いてしまうデリケートなアイテムなので取り扱い注意。かつ視界もかなり悪くなるので、登攀時や夜間などはその点も十分注意したほうがよい。またネットが首筋など肌に張り付くとそこから虫どもの餌食になるので、ネックゲーターをするか、バケットハットのように全方位にツバが付いているタイプの帽子を被っていないと意味がない。危険を感じたならばとりあえず頭に被っておいて、すぐに首から上を覆えるようにスタンバイさせておけばよいだろう。余談だが「メマトイ」は防虫ネットが唯一の対策である。

レベル番外:上記のいずれの場合でも、安い薄手のヤッケを着込みフードを被ることがある(Picture 6)。安物とはいえ超軽量ハードシェル(?)なので、薄手ソフトシェルや登山シャツなどの上から刺してくるアグレッシブな虫ども(特にアブ)も物理的に遮断できる。ゴアテックスの雨具では暑すぎる場合や、防虫ネットが使いにくい場合など、ときに絶大な効果を発するので、使い捨て感覚で一枚持っておく価値はあると思う。夏の日帰りや一泊程度であればこの安いヤッケのみ持ち、登山用雨具を割愛することもしばしばだ。もちろんちゃんとした雨具をつかってもよい。

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※使っているものは以下(おすすめとは限らないのでご了承ください)

 

C まとめ

上記のとおり幕営時にしろ行動中にしろ、これさえやっておけば大丈夫と言えるような画期的な方法論があるわけではない。写真を見れば一目瞭然だが物理的に防ぐ対策の難点は、対策レベルを上げれば快適度が下がることにある。快適度を上げようとすれば虫に刺される危険性も上がる。このように対策レベルと快適度の調整具合がポイントとなる。その具合をいかにコントロールするかはその場その場で合理的に判断する必要があり、まさに個々人のお山の経験値の為せる業と言える。

 

 

(4)対策の前提条件 ~自分が虫に弱いと分かってもらう大切さ~

A もし刺されたら最低限の処置くらいはしよう!

幕営時も行動中も、刺されたときには気が付いていない場合が多いだろう。

幕営中のなかでも就寝中に刺されていた場合、起床するとともに失敗した!という絶望感が押し寄せ、とりあえず何か所刺されたか数えるだろう。その虚しい作業を終えたら、モチベーションを喪失している自分に折り合いをつけることになる。しかし、山の朝はすばやく行動を開始する必要もあり、あまり時間的余裕がない。あなたは同行している周りの仲間との激しい温度差を感じるはずだ。周りに迷惑をかけないように「最低限の処置」を迅速に行い、集団行動に戻らなければならない。単独であれば即下山も十分ありだ。

また行動中に刺され「あ、ブヨにやられた!」と分かっても、時間に追われていたらその場で手間のかかる処置(ポイズンリムーバーなど)を行うのは現実的ではない。誰かにやってもらうのも悪いし、自分の勝手で長い休憩をとるわけにもいかない。仮にあなたが下山中であったら、処置をやっている最中にも連打を喰らいそうだし、それならさっさと下山して里に逃げ込みたいと思うだろう。そのため何もやらないで行動を継続することが圧倒的に多いし、何かやれたとしても「最低限の処置」だけだ。

最低限の処置とは、ステロイドを塗るというだけのことだ。やらないよりはマシくらいのものに過ぎないが。そしてもし痒みに耐えられず掻破してしまったなら、沢水や汚れた手などから雑菌が入らないよう消毒して防水性の絆創膏を貼っておこう。あとはアドレナリンを出して行動し、忘れることだ。(なお、ケムシ、ダニ、ハチなど深刻な事態になりかねない被害を受けたならば、行動を直ちにいったん停止し適切に対処しなければならない。)

 

B ザックの一番上に常備しよう!

その最低限の処置をするためには、あなたは常にザックの一番上にステロイドをパッキングしておいて、すぐに出せるようにしておかなければならない。特にお薬というとファストエイドのスタッフバッグにまとめて入れていて、ザックの奥底に埋まっていることが少なくないと思う。それではダメだ。いちいちザックの中身をぶちまけるなんて、まったくの不効率だ。

レサコ(人工呼吸用マウスピース)やポイズンリムーバーなど、一刻を争う事態に必要なアイテムの袋に、ステロイド・消毒薬・絆創膏も一緒に入れておこう。私はそれをヘッドライトや充電池などのスタッフバッグに入れてザックの一番上に常にパッキングしている。これでごく短時間で処置できるはずだ。(なおバケットハット・夏用ネックゲーター・防虫ネットの三点セットもこのスタッフバッグに入れている。)

すぐ処置できるようにしたいなら、ステロイドくらいズボンのポケットに入れておけばよいと言う人もいるかもしれない。確かに私もウナコーワクールをポケットに入れていた時代があった。しかし、考えてほしい。そのスタイルでは「どうぞ虫さん私を刺してください準備はOKです」と言っているようなものではないか。あくまで虫は物理的に防ぎうるもので、刺されてしまうのは想定外の事態なんだぜという心意気を堅持したい。それゆえに、レサコとわざわざ一緒に入れておくのである。

 

C 自分が虫に弱いことを仲間にも理解してもらおう!

上記のAとBは、書くまでもないような当たり前のことを示している。それは言い換えると、ひとたび刺されてしまったら、もはや大したことはできないということである。特に幕営時に大量に刺されてしまったら、下山までなんとか頑張るしかない。

仲間と山に入っているならば、自分のひどい有様で仲間に迷惑はかけたくないと思う一方で、自分の窮状を仲間には理解してもらえない疎外感を味わうかもしれない。あるいは、ステレオタイプな山岳会の赤ら顔のおじさんは、酔いつぶれて野外で半袖で寝ていたにもかかわらず虫に全く刺されないために、顔がボコボコになったあなたに心無い言葉を吐くかもしれない。

はっきりしておいたほうがよい。虫に本当に弱い人の気持ちは、虫に本当に弱い人にしか分からない。

しかしながら、よく一緒に泊まりの山に入るような仲間がいるなら、少しは自分のことを分かってもらいたいのが人情だ。それに例えば、幕営時に自分だけ蚊帳を出したら周りのひんしゅくを買うかもしれない。「あなただけズルい」と。その時に仲間が感じる不公平感とあなたが感じる不公平感の溝は深い。虫の壮絶な被害を受けるのはあなただけで、周りの仲間の被害はあなたと比べれば大きなものではないからだ。しかし、あらかじめ公平ではないとはいえ、その溝を埋める努力をすることは大切なことだ。

少しの勇気を出して山行前にはっきりとカミングアウトしておこう。自分は体質的に非常に虫に弱く、みんなは被害ゼロなのに自分は100か所以上刺されていることもあり、特別に対策が必要なのです、と。きっと最初はみな「わたしも。虫やだよねぇ」などと軽く片付けるだろう。そして最悪の夜を過ごした翌朝に、あなたのボコボコになった顔を見て、心無く少し引くことだろう。しかし、それもまた通過儀礼と思い、気にしないことだ。むしろそれを冗談にして「いやー人相が変わってしまいましたー」などと言って笑おう。心で泣けばよい。

ただし、本当に大量に刺されて危険を感じる場合や、他のケムシやダニやスズメバチなどといった深刻な事態になりかねない被害を負った場合は、多くの勇気を振り絞って、自分が山行継続不可能なことを宣言しよう。経験豊富な仲間ならあなたの窮状を必ず理解してくれるし、むしろ先に対処してくれるだろう。そうでない場合、自分は自分で守るしかない。あとで「自分のせいで山行がダメになってしまい申し訳ない」と謝罪すればよいだけだ。自分の状態をしっかり見定め、もしも本当にダメなら迷うことなくダメと宣言するのは、重要なことだ。

あなたのことを、理解のある人ならすぐに、理解のない人でも少しの時間の共有があれば、分かってくれるだろう。分かってもらえないとあなたが感じる人がいれば、その人とは山には入らないほうがよい。

 

D 自分に対して深い自覚をもとう!

仲間に分かってもらう大切さとともに、まずはきちんと自分自身で油断なく対策をして、被害を受けないことが第一だ。今回は大丈夫だろうと甘く考えたり、周りの雰囲気に流されたりしてはならない。自分の油断から虫に大量に刺され行動不能にでも陥ったら、仲間に甚大な心配と迷惑をかけることになってしまう。分かり切った自分の体質を深く自覚し、対策を怠らないように心がけたい。

現実にはうまくはいかないことも多いだろう。例えば、私はちょっと虫が出てくるとイライラし、町で会ったら不審者そのものといった覆面じみた対策を施して、それでも失敗して何か所も刺されたりしている。楽しいはずのお山の小さな旅も、気が付くと虫に対する負の意識が頭のほとんどを占めていて、虫に刺されたか・刺されなかったかで旅の出来を判断したりしている。

顔をボコボコに刺された下山後、会社に行くかどうか真剣に悩む、という不毛な経験をしたことがあなたにもあるだろう。連続殺人犯のように変形した人相で出社し「どうしたの」と聞いてくる同僚に「いやぁ」と誤魔化すときの虚無感。病院で診察を受けたときの、所詮虫刺されと軽く診察された上、気色悪いものを見て引いているのを隠そうともしない医者や看護師の態度。お山で何か所虫に刺されたか数えているときから、下山後の里でどうなるか、予定調和な連続ドラマのように分かり切っている。

そう予定調和なのだ。この虚しい予定調和の負の連鎖を断ち切るために、そしてもしも被害に遭ってしまったとしてもなるべく最小限に食い止めるために、まず自分が人よりも圧倒的に虫に弱いのだと深い自覚をもつことから始めるべきだ。

 

 

(5)結語 ~むしろ愛と畏敬をもって虫と接す~

正直のところ、私は虫対策なんてしたくはないのだ。全部さらけ出して自然を体いっぱいで感じたいのだ。新月の涼風と焚火のゆらめきが顔をなでるのを感じながら、闇にうごめく魑魅魍魎の音を静かに聞いていたい。沢登りをはじめたのも、この登山スタイルが最もダイレクトに自然と接すことができると感じたからなのだ。

ときに自分の虫に弱すぎる体質に思い悩んだりする。自分は体質的にお山の自然に向いていないのだから、もう沢登りなんて止めたほうがよいのではないか、と。 

・・いやそうじゃないな。そういった論点では不毛な議論を再生産するだけだ。ふと、書いていて、たったいま思ったことがある。

これまで私は虫を心底毛嫌いし、虫と自分を決して相容れないものとして対置させ、虫対策に関する駄文を連ねてきた。しかし虫、例えば蚊は何億年も前から何千種と自然に存在する、いわば自然そのものというべき普遍的な存在である。一方、私はそんな自然のなかに、週末のほんのわずかな時間だけ入らせてもらっているに過ぎない、ごくごく小さな存在である。

自然に対し愛や畏敬の念をもっているなら、ちょっと自分の尊大な態度を改めたほうがよいのではないか、と思ったのだ。

虫に対して「お前たちを山ごと焼き尽くして絶滅させてやりたいわ」と刹那的・暴力的に発想するのは止めにして、「ありのままの自然を感じたいのですが、残念ながらあなたたち虫と私とは体質的に相性がよくないので、少しだけ対策をしています」と謙虚に考えたらどうか。虫とて私をおとしめたくて刺してくるわけではない。虫を愛でても腐海にマスクなしでは入れないナウシカのようなものだ。自然のなかに入ることができる喜びの一環として虫対策も捉えることができれば、ポジティブで幸せではないだろうか。

そう。虫だらけの美しいお山の自然も、虫に弱すぎる自分の体質も、いずれも受け入れることだ。虫対策はその両者をつなぎ合わせるために存在しているものなのだ。

急に論調が変わってしまったが、駄文を連ね考えを重ねた結果、自分のなかでは割と自然にこうなった。どちらにしろどんな対策をしたところでいままで通り失敗と成功を繰り返すのは分かっているのだ。それならポジティブでいられるほうがずっとよいだろう。 

よって、以下の三箇条をもって本論の結語にしたいと思います。

 

*虫除けスプレーは効かない。物理的に虫を防ぐこと。

*虫に本当に弱い人の気持ちは、虫に本当に弱い人にしか分からない。

*虫を自然そのものと受け入れ、愛と畏敬の念をもって対策する。