隠レ蓑

お山の日記と、日々の懊悩

有明山・深沢右俣

10/20~21 有明山・中房川 深沢右俣 with Yさん

 

観音峠はもう初冬の朝だった。温泉が湧いているらしく、そこだけ温かくなっているマンホールの上でいそいそと身支度し、御堂の脇から小尾根を下って入渓した。いきなり花崗岩の深い谷だ。F3を右岸に付けられた往年の怪しい針金の梯子で越え、1280mの二俣から白いスラブが美しいF6多段大滝を眺めるころには、予報より早めのガスが立ち込めてきた。60mのコーナースラブを登り、ハーケンを打って下方を振り返ると、そこそこ色づいている里山の紅葉に今更ながら気が付いた。2p目を切った落ち口を見上げる小テラスで小雨になり、落ち口に抜けるときにはついに本降りになった。絶滅危惧種アルパインクライマーであるYさんの目的である正面壁の下見は、残念ながらガスの中になってしまった。

1680mの屈曲点で過ごした夜はとても寒い夜になった。明くる朝は澄み切った青空になったが、日陰の屈曲点はしんしんと冷えた。昨晩乾かせなかった凍ったネオプレンソックスを朝の焚火にくべたところ、また燃やしてしまった。バリバリになったそれを履いて出発し、暖かい陽が差すF10基部でやっと生き返った。F10はゴルジュの体で、5~6mほどの前衛の小滝2本から緩傾斜帯をはさみ、メインの20mほどの滝までが一続きになっている。左岸のスラブ状バンドで小滝を越え、また日陰に入り少々寒い緩傾斜帯から20m滝を見上げた。水流右に真っすぐ伸びる凹角の上方が、太陽で光っている。当然のごとくこれにルートを求め、意外に難しくて1か所人工を交えて落ち口へ抜けた。

F10落ち口で一息ついて振り返れば、歩けば数分で行けそうなくらいすぐそこに、安曇野の里が見えた。そう、登攀中もすぐ近くに見えたものだが、このF10落ち口ではもっと近くに見える。有明山は言ってみれば里山だから、里が近いのは至極当然のことだ。しかしそれでいて、ここは深山の空気感を色濃くもっている険谷でもあるのだ。僕らがいま隔絶された山奥で登攀しているなら、何も感じなかっただろう。しかし、背中では人里の生活感あふれるごく当たり前な日常の範囲と密に接しながら、眼前では脆い花崗岩にハーケンを打ち込みながら異質な非日常の範囲に両手を突っ込み、そこにもっと入っていこうとしている。不思議な歓びを感じた。なんという隠微な断絶で、なんという隠微な楽しみなのだろう。あらためてこの種の登山が好きになった。

F10より上部は、小悪いCSを越えれば、あとは沢形に伸びる急ガレを詰めるだけである。何度も安曇野の里を振り返りつつ、ゆっくり登った。わずかな藪漕ぎで稜線へ抜け、ステンレス製の鳥居が立つ北峰でYさんと握手した。下山しながら最後に思った。深沢右俣は水量も少なく、ごく短い、かつ急峻な流程に、多くの脆い花崗岩の滝を架けている・・・そう、なんだか丹沢の延長上にあるような谷だったのだ。僕は神奈川県民で、丹沢で沢登りを始めた。なぜだか丹沢で沢登りをしてきて本当によかったと思った。こんなに素晴らしい谷に挑むことができたのだから、と。卒業試験に合格して家に帰るような身軽な気分で有明荘に下山した。待っていてくれたタクシーで観音峠に送ってもらい、短距離で申し訳ないからと思って飲まなかった缶ビールを運転手さんに渡した。すべてが好ましく感じられた。ふと外気温が4℃なのにやっと気づいて震え出しつつ、バリバリのネオプレンソックスを脱いだ。

 

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