序
「下又白谷上部一尾根第一支稜」つまり仮称「ウェストンリッジ」と聞いても知らない人が多いと思います。これに関して興味を覚えましたら、まずはかつて精力的な下又白谷研究によってこのミステリアスなリッジを含めた前穂東南面を世に紹介した「山岳巡礼倶楽部」の情報をみるべきです(http://clubgams.com/)。上高地から至近にありながらブラックボックス状態であるこの前穂東南面に行きたい!と思うきっかけになり、大いに参考にさせていただきました。お礼申し上げます。
「ウェストンリッジ」は仮称ではありますが、ここでもこの呼び名で通させていただきたいと思います。
目次
山行前夜
9/14~16の三連休に登るつもりで来た。が、アルパインスタイルならぬ「沢パインスタイル」で、ベースの小梨平から一気に前穂までつなげて下山しちゃおう、などと軽く考えたため、あえなく失敗した。そのときは取り付きにすらたどり着くことなく諦めざるをえなかったのだった。
初日の9/14にひょうたん池から下又白谷に下りるルートにだいたいの目星を付けて下山し、翌日早朝に下又白谷に下降しようとしたのだが・・・。見通しのつかない崖下への下降に逡巡し、改めて藪を読み、その切れ目から下方を伺い、最終的に見通しのつく場所を見つけ懸垂15m、そこからさらに藪ガレを長いことトラバースして、やっと下又白谷に下り立つことができたのだった。その時点で9時すぎ。もう取付で準備しているはずの時間だった。そして、下又白谷から見上げたルンゼと尾根。地形は複雑で、どれがウェストンリッジに続くものなのか、確信がもてない。
それで、今回はこのマイナーな前穂東南面の概念をちゃんとつかもうぜ、という目的に切り替えた。晴天が続けば伏流して涸れると思われる小滝を2つ見出した下又白谷本谷2350m付近から、広大で不安定なガレを、前穂に向かって伸びるいくつかの支稜とその谷間をチラ見しながら、一尾根主稜の2620m付近まで時間をかけてウロウロした。それでこのあたりの概念を、多少なりつかむことができたのだった。
前穂東南面の概念
前穂を頂として、明神東稜からの稜線と茶臼尾根から第一尾根へ続く稜線に囲まれた範囲で、下又白谷の集水域を形成しているのが、前穂東南面である。下部はその下又白谷のF1~5からなる壮絶なゴルジュ帯、中部では広大かつ非常に不安定なゴーロ帯になり、上部では明神・前穂に向かって大小いくつもの岩稜や岩壁を連ねている。
下部の下又白谷は東南面で唯一記録がよくみられる沢登りのルートだが、ゴルジュを抜けると水は伏流し、幾筋ものゴーロに枝分かれしていくため、本谷がどれかよく分からない。水量としては第一支稜と明神稜線の中間ルンゼが多いと思われたため、便宜的にこれを本谷としたい。本谷ではF6、7として小滝が2つみられたが、晴天が続けば伏流し涸れ棚になる可能性が高い。なお、茶臼の頭を源頭としてそびえる菱形岩壁や黒ビンに関しては、遠目に見たのみなので詳細は分からない。
一方、上部では特に顕著なのが第一尾根から派生している支稜で、これらを中心に東南面を正面に見たときの岩稜風景が形作られている。中部ゴーロをウロウロして観察した限り、第一から第四支稜まで数えられる(ただ第四支稜は小規模な藪尾根)。このうち最初に派生する第一支稜が、ウォルター・ウェストンが登ったかもしれない、とされているウェストンリッジである。また、反対側の明神の稜線には、前衛壁・奥壁・白ガレといった岩壁が、本谷からほとんど直接、短く急峻なルンゼの上にそびえている。特に明神主峰に伸びる奥壁は圧巻の壁である。
以上の内容に手元の資料の情報を加えて概念図化してみると、下記となった。(※ただし、たった2回行って備忘録的に作ってみただけで、細かいところは間違いがあるかもしれないので、参考程度にみてください!)
猟師道から岩の墓場へ
澱んだ小さな水溜まりにしか見えないひょうたん池には、独自の生態系をもっていると思われる、小さな漆黒のサンショウウオが無数に棲息している。陸に上がっていたコを手の平に乗せてみる。か、かわいい・・・。軽量化がうまくいかず重荷にあえいだ上高地からの3時間を、いっとき忘れた。
今日は10/5である。ひょうたん池のコルから、改めて屹立した三本槍を見やった。3週間ぶりに見やるその稜線上の藪も、そして池の周りの木々も、前に来た9月中旬から一気に秋が深まった感があり、赤く黄色く染まりゆく最中にあった。季節の移ろいは軽やかで早い。無駄に気が急いてくる。
明神東稜を標高差150mほど登り、第一階段と呼ばれている軽い岩稜の取り付きから、下又白谷へと急斜面の藪をトラバース気味に漕ぎ始めた。前回目星を付けた太いダケカンバにロープをまわし、15mほど懸垂して岸壁をかわした。あとは上流方面に延々とトラバース。藪には前回に踏んだ跡があるのでラクだ。途中ごく細いガレ沢を渡り、枯れ始めていてすぐ折れそうになる藪をつかんで、不安定なガレザレの斜面を本流に向かって進んだ。かつてこんな道筋を選んで前穂に初登頂したとは・・・、しかしこれをウェストンに案内した嘉門次は猟師、登山道ではなく、猟師道として見たほうがしっくりくる。
下り立った下又白谷では、先日の大雨でなんと僅かだが水流が生まれていた。前回はほーんのちょろちょろだった小滝もちゃんと滝になっている。嬉々として水を飲みまくり落ち着く。
下の小滝を左から越え周囲を見渡すと、僅かな水流の音がとっくになくなり、広くそして白い花崗岩の谷には音がないことに気づく。にもかかわらず、谷を流れる空気が岩を撫でていくような、不確かだがある意思をもった気配が存在している気がする。そういうのが岩の墓場たる所以だろうか。
谷は地形図では判然としないが2俣っぽい感じになり、右は上の小滝、左はおそらく明神岳奥壁へ続くガレである。ウェストンリッジは右だが、水流のある小滝を避け左のガレを軽く上がった。明神のボロい壁が近まり岩の墓場感が一層強まる。よさそうなルンゼ状の草付きから中間尾根を乗越して右へ乗り換えた。中間尾根から上を見やると「あっ!」と声が上がった。写真で見たウェストンリッジの末端が、はっきりと眼の前に再現された。あ~あ、やっと来たなぁ、と思った。少しの間、ガレルンゼからウェストンリッジまでの一連の光景を茫然と見つめた。
時間はもう14時前。取り付いても早々にビバークになってしまうため、よさそうなところがあったらそこで泊まることにした。そして2520m付近の左岸で、あっけなく最高の岩屋を見つけることができた。しかも運よくガレに落ちていた朽木を拾って焚火も。岩屋ではいつか分からないが先人が泊まったらしい痕跡もみられ、さらにその奥にはクマが越冬のとき籠っているに違いない獣臭い洞穴もあり、ワクワク感マックスである。勝手にここを「ホテルウェストン」と呼ぶことにした。
ホテルはあまりに寝心地が良くて10時間近く寝てしまった。翌朝の出発はすっかり日が昇った6時半。30~40分ほどガレを詰めればウェストンリッジ末端の広場についた。
ルート情報
支稜末端の左側のボロ岩から登り出した。右上し藪に入り、木登り。ある程度上がって傾斜が立ってくるところからロープを出す。じゃんけんで奇数ピッチがパートナーのOさん、偶数ピッチが私である。
1p 20mⅣ級- 木登り。
2p 30mⅤ級- 最初が滑った岩の乗越しで悪い。あとは木登りで進むと目の前を塞ぐ猛烈なハイマツ帯が現れ、ギョッとして手前で切る。
そこからは猛烈なハイマツ尾根を必死に藪漕ぎ。わずかに走るクマ道を拾わないととても進めない。クマ糞もあり、クマがいそうな気がして怖い。こんなところで鉢合ったらどうなってしまうのだろう。ガスのなかハイマツ尾根はリッジになり、岩稜帯の基部に着く。
3p 60mⅢ級 ボロいフェースからアンサウンドした岩稜。左に明神の尾根、右に第一尾根の迫力ある風景が見て取れる。そしてガスの切れ目からウェストンピークも確認できる。
4p 60mⅣ級 ここでクライミングシューズに履き替え、岩稜をさらに上がる。とにかく脆く容易に落石を誘発しそうなため、ロープの流れに特に注意して支点をとる。コンテでは危険だ。
5p 35mⅣ級+ 徐々に岩稜はリッジ状に細くなっていく。前衛の小ピークから衝撃的にアンサウンドしたクライムダウン。畳大の大岩から小さめの岩まで、それぞれのバランスで乗っているだけなのだ。アンサウンド度があればV+を超えそう。下りきるとウェストンピークへ伸びるリッジの基部にたどり着く。
6p 55mⅣ級+ 出だしは滝谷4尾根のようなカンテ状でなかなか快適。先人のハーケンを見つけた。カンテが終わるとガチャガチャした岩になり、最後は15mほどの不安定なガレになる。ガレの真ん中でピッチを切ることになり、アンカー構築に苦労した。ガレの手前、ガレの終わり、がよかった。
7p 55mⅢ級 ガレからはヘッドウォールのように四角く見えるフェースが立ちはだかっている。その向こうがウェストンピークだろう。左側から巻き登るラインでピークに至る。このピッチは簡単で、しかもピークに辿り着けるという素敵なピッチ。
8p 40mV級- ピークからは再び衝撃的にアンサウンドしたクライムダウン。30mほど下りたところから、リッジの右側にさらに下りればA沢のコルまで土斜面で行けそうに見えなくもないが、その場合支点がとれそうにない。そこで支点がとれそうな左側の凹角を下りて岩陰でピッチをいったん切る。ムーブも悪くてV-、アンサウンド度もV-。
9p 20mⅢ級 そこからリッジを左から右に乗越して見やると問題なく行けそう。3歩のクライムダウンでコケの土斜面に下りることができ、A沢のコルまで歩いていける。
登攀を終え、Oさんとハグと握手。お互いすげ~笑顔になってしまった。そこからは前穂山頂まで歩くだけである。何度も振り返りながら、浮石の堆積にしか見えないウェストンリッジにギョッとしながら、そろそろ帰りのバスの時間も気になりながら、万感の思いで歩いた。
ウェストンリッジ小考
1893年、外国人として初めてウォルター・ウェストンは猟師の上條嘉門次をガイドとして前穂高岳に登頂しました(初登頂は同じく嘉門次をガイドとして測量師の館潔彦)。彼らはひょうたん池から下又白谷へ下降したのは明らかでしたが、その後どのようなルートをたどって山頂まで至ったのでしょうか。
“強いていうならば現在の前穂高三本槍~~東南支稜(注:一尾根第一支稜と目される)を登ったとみたい”と、自信なさげながらも仮説を立てたのは登山史家の山崎安治氏です(1)。この根拠はウェストン著『日本アルプスの登山と探検』の前穂登頂に関する以下の文です。“~~ふたたび険しい岩場になった。~~岩はこれまで経験したことがない硬さと険しさで、これを登るためには全精力をふり絞った~~険しい鎌尾根の上に登り立ったが、ここから上がいみじくも「直立する稲妻の山」と名付けられた巨大な花崗岩の岩塔群である~~”(2)。前穂登頂に関しては上條久枝氏著『ウォルター・ウェストンと上條嘉門次』でも簡単に解説されています(3)。この記録の序にあげた山岳巡礼倶楽部の下又白谷研究においては、ウェストンが一尾根第一支稜を登ったとする山崎氏の仮説はある種懐疑的に検証され、1980年代に実際に試登も達成されています(4)。
ではウェストンは本当にここを登ったのでしょうか? いや言い換えれば、嘉門次がガイドとして館潔彦とウェストンを案内したのは、果たしてこのルートだったのでしょうか?
しかしながら、この命題は実際に登ってみると、・・・いや、登ってみなくても、それほど重要なものではなかったわけです。重要なのは、穂高にあって誰も見向きもしない前穂東南面、そのなかでもこの一尾根第一支稜というルートに篤い思いを抱くきっかけになったという、まさにこのことです。試登を経た山岳巡礼倶楽部があえて「ウェストンリッジ」と仮称したのは、そのほうが伝説のクライマーであるウェストンを語るうえでドラマがあるし、ミステリアスなこのリッジにふさわしいネーミングだから、だったのではないかと想像しています。
山岳巡礼倶楽部・赤沼正史氏の『断想 下又白谷』をご一読ください(4)。ウェストンが登った登っていないにかかわらず、「ウェストンリッジ」という、いち登山者として夢を感じさせてくれるようなルートがあるのは、とても楽しい、すばらしいことです。
なお、服部文祥氏が『岳人 2015年10月号』で嘉門次らが前穂を初登頂したと考えられるルートを当時のスタイルでトレースしている記事があります(5)。あぁ、あそこを真っすぐ登っていったのか・・・と、服部氏が歩いた道のりが目に浮かびます。自然で、谷間と岩稜をうまく使った、穂高を知り尽くした嘉門次だけがたどれるルートだったのであろうと思いました。
- 山崎安治:穂高星夜.スキージャーナル、1976(別版多数)
- ウォルター・ウェストン:日本アルプスの登山と探検.岩波書店、1997(別版多数)
- 上條久枝:ウォルター・ウェストンと上條嘉門次.求龍堂、2018
- 山岳巡礼倶楽部ウェブサイト(http://clubgams.com/)
- 服部文祥:ルポ 前穂高岳 初登頂ルート.岳人2015年10月号(NO.820)
[DATA]
10/5 上高地(7:30)~ひょうたん池(10:45)~明神東稜第一階段取り付き(下降点)(11:30)~下又白谷2310m(12:50)~上の小滝2400m(13:20)~ホテルウェストン2520m左岸岩屋(14:10)
10/6 BP(6:30)~ウェストンリッジ取り付き2650m(7:10)~岩稜取り付き2820m(9:00)~小ピーク(10:40)~ウェストンピーク2970m(12:30)~A沢のコル(13:35)~前穂高岳山頂(14:30)~岳沢小屋(16:15)~上高地(17:40)
装備:ダブル60m×1、スリング多、カム1セット(マスターカム00~4、キャメロット0.5~2)、ボールナッツ×3、ナッツ一式、ハーケン少し、ハンマー。※ナッツは不使用、小カムとボールナッツを多用した。浮石が非常に多くコンテは危険、ロープ2本も危険と思う。クライムダウン箇所も懸垂は危険。トップ・フォローとも難しくはないが、岩を押さえて静かに重心移動していくデリケートなクライミングが求められる。
ルートは☟
≪警告≫この記録に記載された情報が正しいと保証するものではありません。また、この記録をもとに山行され事故等が発生した場合、当方では一切責任を負えません。予めご了承のほどよろしくお願い致します。