ゲートから「ハイキングコース」と書かれたほうへ歩き出し、短い林道歩きからすぐ入渓した。広大な沢幅いっぱいに堆積した土砂のなかに、ほとんど埋没しているかつての砂防堰堤があった。 以前中央アルプスのとある”急勾配崩壊渓流”を歩いたことがあるが、現在進行形で荒廃している雰囲気が似ていた。
小さなゴルジュになったと思ったら、一気に側壁が高くなり、向こうにギョッとする高さの堰堤。これは巻ける次元じゃない・・。地形図を改めて見てみると、右岸の林道がまだ奥まで伸びているので、これを終点まで拾いなおすことにして、一度沢から離れた。
林道終点から改めて入渓。
10分も歩かずに、天に伸びるような雲竜瀑の広場に着いて休憩。本流は薄暗い感じの左側。
何やら独特の雰囲気を感じる。とてつもなく大きい岩の左右に水流があるが、登れそうなのは右の6mCS。CSは礫岩というのか集塊岩というのか、大小の岩が一体となって凝結しており、一見脆そうだが意外なほど硬い。CS右をステミングで登った。
以降も数m規模の小滝が4つほど連続する。次の小滝は右上にとても大きな岩が鎮座しており、大岩滝か。過去に見た写真ではCS滝だったが、渓相の変化が激しいのだろう、CSはなくなっていた。登るのは易しい。その後の滝はいずれも巻いた。
1470mのY字峡。このあたりは地形的なアヤか、一瞬、朝日がいっぱいに注いで沢床が明るくなった。左俣は七滝沢出合の黒岩滝。右俣のアカナ沢は一気に両岸が高くなる。V字の隙間の向こうに、土砂の面を斜めに切ったような異様な山肌が遠望できる。ここからいよいよ内院に入っていく感がある。
小滝が2つほど。1つ目は左から容易に、2つ目はCSの右側を使ってスメアとレイバックで登った。
土砂の山肌を正面に沢は右に曲がると、高い側壁に囲まれたひときわ広い空間になる。右上方向を見やると垂直に水を落とす流れが見え、あれが大鹿滝だと確信する。そこだけあたかも滝谷のような様相である。
前衛の小滝2つ(2m・5m)を容易に越え、大鹿滝基部に立つ。柱状節理が絶え間なく崩壊して形作られている感じか。じっくり観察する限り・・、登るのは左壁だろうが、どうもはっきり言って簡単そうだ。崩壊により形状が変わったのだろう。少なくとも中段の若干ひょんぐっているところまでは確実に問題ないだろ。そして難しいとしたら落ち口抜けか。落ち口付近は狭く、傾斜がやや強い。
ここでクライミングシューズを履いた。いつでもロープを出せるようにデバイスにセットして、フリーで取り付き、ワーッと落ち口直下まで登った。直下はやはり脆く、ムーブを探りながら不安定な浮石を全部叩き落とした。使うホールドを決め、短い時間でふんぎりを付けた。アンカーセットは考えなかった。右足で乗り込み、左足に入れ替え、右足をハイステップで一気に乗り込んで、あとは落ち口に駆け上がった。
大鹿滝の上も連瀑帯といった感じで小滝が連ねる。容易なクライミングで通過した。
この2段7m滝は、下段が猛烈シャワーになりそうで雨具を着てみたものの、どうしてもシャワーなんて嫌だぜと思い、垂直の右壁をなんとかトラバースして抜けた。トラバースは悪く、クライミングシューズでなければ厳しかった。その後も小滝がいくつか続くが左岸から容易に越えた。
1670mの二俣。左俣の支流は激しい幅狭かつ縦長のゴルジュにいくつもの滝が連なっていた。右俣のアカナ沢は一段と強烈に崩壊しており、両岸は垂直の土砂に岩が刺さっているような様相。これはちょっと落石に注意という次元ではない。不確定要素がきわめて強い。
沢幅がいっとき広がり、1740mあたりで左俣支流にナメ滝を分ける。 そのナメは上方で大きな滝になっていた。アカナ沢は再び強烈な側壁に挟まれ右に折れている。
側壁は今度は左に折れ、やっとというか、意外に早かったというか、大鹿落としの出合に着く。両岸、特に大鹿落とし側は、何かのきっかけでいつ落石あるいは崩落が起きてもおかしくない。稲荷川へと土砂を絶えず落とし込む始点がここであり、ふつう人がここにいちゃいかんだろって感じか。それにしても下から見上げる限り、なんかすぐそこをトラバースできそうな気もするが、都合のよい妄想か。
えぐれてハングした本沢滝。こちらを登るのはあり得ない。
大鹿落としはどこまでも崩壊した土砂ガレの堆積。
本沢滝を巻くため、大鹿落としのガレを登る。土砂ガレは不安定だが、個人的には足を置く場所を選べば意外にそこまで登りにくくはない。落石リスクがマシそうなラインを選んで歩き、数秒に一回は周囲を警戒し落石に備えた。が、幸いなことに何も起きず、淡々と登る。山の懐にうまく入っているのか。
振り返ると、かつての側壁トラバースルート。写真では絶望的に見えるが、肉眼で見れば行って行けなくもないようにも見えたが・・、そんなことはやめましょう。もう十分危険を冒していると思われたので、これ以上危険の先へは行かないほうがよい。
大鹿落とし二俣?。左へ進む。
右岸のリッジ状の土砂が尖塔になっている上部から斜度が緩むため、そこから左へトラバースを開始。
とりあえず本沢滝落ち口へ向けトラバースしてみる・・、が、斜面・・・急な土砂に岩が刺さったような斜面のトラバースを100mほどこなしたところで、突然これで終わりにしようと思い至った。こんな危険なことをして何になるのだろう。触る箇所を選んで登り、藪に逃げ込んだ。
藪の尾根は、登山道と見まごう獣道にあふれており、難なく下降できる。
本沢滝落ち口へと伸びる獣道を拾ってみた。落ち口付近と思われる場所は黄色のお花畑になっていた。(が、お花の名前はまったく分からない。)
見渡せば大鹿落としの左岸斜面が見える。落ち口へは断崖絶壁になっており、50mロープ一本ではとても届かない高さ。しかし断崖沿いにも獣道が伸びており、それを拾って上流にトラバースすることにした。濃厚な動物の足跡は沢へ降りていくためのものであろう。百数十mトラバースすれば、歩いてアカナ沢右俣に降り立つことができた。そこから二俣まで下降する。
1870m二俣。左俣が本流。
こちらは振り返って、本沢滝の落ち口方面。
左俣に入ると、すぐに8m滝。見るからにシャワークライミングになるので、雨具を着こんで急いで登った。集塊岩なのか、これもホールドといった感じで大小の石が凝結しており、シャワーは少々冷たいものの容易に登った。
8m滝を過ぎると、沢はそれまでの崩壊した様相が嘘のように穏やかになる。緊張感が緩み、とりあえず休憩タイム。2000m二俣を左俣に進むと、段々状の赤い小滝。
これ以降、赤っぽい沢床を流れる水が急速に減っていき・・、
水はやがてガレのなかに消えてなくなった。
2250mを右に入り、2318mに向けて最後のザレ登り。
登山道に出て大休止。時間は13:30。予定よりずいぶんと早く、もはや急ぐ理由もない。30分ほどゆっくりくつろいで、装備も全部外した。稜線に抜けてからと思っていた、とっておきのおにぎりを食べて、女峰山山頂へ向けダラダラ歩き出す。
2~3の偽ピークを越えて本物の山頂が見え、
ちょっとヘロヘロモードでやっと山頂に着いた・・・。
下山は黒岩遥拝石を経由し、林道を起点まで戻った。
雲竜渓谷入口・起点(4:50)~林道終点から再入渓(6:30)~大鹿滝(8:00)~本沢滝・大鹿落とし二俣(9:35)~1870m二俣(11:25)~2318m(13:30)~女峰山(14:35)~黒岩遥拝石(15:45)~起点戻り(18:15)
装備:ダブルロープ50m、ハーケン・ハンマー、カム小さめ6、ボールナッツ3、クライミングシューズ
遡行図:渓谷登攀
ルート☟
アカナ沢、20年目の再会
大学時代、男体山~女峰山という定番縦走コースだった。女峰山から唐沢小屋に降り、幕を張った。男だけ5人も6人もひしめき合うテント内ではお決まりの猥談が始まり、うんざりした僕は大嫌いなドタ靴を履いて一人外に出て煙草を吸った。今思えば1泊2日にしてはあり得ない重量の荷物を担いでいた。一体ザックの中には何が入っていたのだろう。それにドタ靴で常に足が痛かった。今は死語となった”重登山”が大学時代の登山だった。
翌日長い下山路の途中、黒岩遥拝石という視界の開けた場所で休憩した。そこで初めて見た。それがアカナ沢だった。もちろん当時はそんな名前の付いた谷とは知らず、威圧的に崩壊面を晒す光景にただただ目を奪われただけであった。当時の自分がいかなる心境でアカナ沢に見入っていたのか知るべくもないが、その激しい光景は強い印象として焼き付いた。その後、すこし退屈な登山が多かった部活を辞めた。
卒後何年も経って沢登りを始め、「関東周辺の沢」というガイドブックを手に入れ、アカナ沢と再会(?)した。いや、本に記録された遡行図と黒岩で見たアカナ沢とが一致するのには、なおも少々の時間が必要だった。どうやらあの時見た崩壊した谷はアカナ沢といって、沢登りの対象らしい。そう知って思ったのは「え、アレを登る?!」だった。それで、沢の山行を重ねていくなかで、何となく、いつかアカナ沢に行ってみたいなぁ、というのが小さな夢になった。
数年前から時折計画しては雨などで頓挫していた。今回やっと来た。初めてアカナ沢を見て、実際にそこに足を踏み入れるまで、20年という月日がかかった。自らの遅々とした歩みに改めて驚く。
下山、黒岩遥拝石から
今回、8/13+8/14(予備日)という2日で山行を考えていた。というのも、時間に追われて夜になり、黒岩からアカナ沢を眺めることなく下山するのを避けたかったからである。実際は、大鹿滝など滝場の通過が渓相の変化により容易になっており、休憩をとりとりでも単独なら日帰りに問題はなかった。
それにしても、とダラダラ下山路を歩き出しながら思った。お山のリスクって何だ。アカナ沢は不確定要素が非常に多かったと思う。そこそこの経験や技術を身に着けそれなりに対処できる、などと考えていたのはどうやら妄想らしい。結局は何も起きない前提の登山なのだ。お山の懐にうまく入って、少しだけそこに居させてもらう・・という東洋的な登山観をもって登っているが、それはただ自分の無力に肯定的なだけであり、結果はすべてお山のご機嫌次第である。運がよかったと言えば簡単だが、いつまで運は続くのだろうか。
下界は晴れているがお山は霧が出ていた。黒岩遥拝石に着いた。アカナ沢遡行という目的とともに、もう一つ、ここからアカナ沢を眺めるという目的も、そう、運よく果たせた。文字通り茫然と眺めた。あそこが大鹿落としで、あそこが強烈な側壁のとこで、あそこが・・・。
さっきまで”あそこ”に居たというのに、霞がかかった崩壊の谷を見て思ったのは、
「え、アレを登る?!」
だった。
おわり