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栗駒の名渓である産女川は、2008年の岩手・宮城内陸地震により甚大な被害をうけた。渓の800~850m左岸側の山体で1,000m付近を起点に大規模な地すべりが、また周囲でも斜面崩落などが発生し、土石流で1.5㎞下流まで土砂に埋まったという。当然ながらそれまでの入渓点であった桂川林道奥の産女橋も流出した。荒廃した渓は治山ダムが連続する光景に変わり、10年以上経ったいまも不安定な土砂は常時監視され、工事関係者のみが立ち入る範囲になっている。以来、この渓の記録は、上流からのピストンでの遡行がわずかに見られるのみである。
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朝、前夜泊した須川温泉で目覚めると、グワングワンと強風が吹きすさび濃霧に覆われていた。断続的に雨も降り、オートになっている車のワイパーが動いたり止まったりした。わずかに停まっていたほかの車には、諦めたように雨具を着こんで出発する者や、私と同じようにしばらく天気待ちをする者がいた。ったく、産女川を歩く日がこんな天気になるなんてな!とんだ見込みちがいだ。そもそも天気が良化すると信じて一日遅らせた計画だったんだがな。しかし昼ごろから晴れ間が出る時間帯があるらしい。
時間はもう7時半だ。行くならさっさと行くほうがよい。なぜなら、かつてのように下流部の桂川林道から入渓するつもりだからである。予想外な悪天になってしまい、上流からのピストンでの入渓に心が揺れたが、たぶんこの渓も一期一会の山行になるだろう。それならできれば後悔したくない。ピストンはもっとも選択したくないスタイルだ。雨具を上下着て、折り畳み自転車で濡れた林道を走り出した。桂川林道入口まで15㎞のサイクリングだ。
林道入口の東屋に自転車を残置し、ここからは10㎞ほど歩く。
崩壊核心部の上部を通過するため立ち入り禁止となっている笊森コースの登山口を過ぎる。
林道終点。かつてはここから普通に林道が沢へと伸びていたのだろうか。半分藪を漕ぎながら下降していく。
踏み跡はすぐに途切れ完全に藪漕ぎで進むと沢が遠望できるポイントに来た。短い間隔で治山ダムが連続している光景。下降点は見出せず、少しだけ上流のほうへ藪をトラバースして見ると、見るからに工事現場な感じ。Google Earthで確認したとおり右岸林道記号の範囲はすべて工事の範囲のようだ。今日は平日。さすがにここから沢に入るわけにもいかず、いったん引き返す。
この桂川林道終点から普通に入渓、というのは可能性の低いプランAだった。やはり現実的ではないことが分かり、プランBに移行した。プランBは、林道の屈曲部で通過する枝沢(牛子沢というようだ)を遡行し、途中から崩壊核心部へ動いて入渓するというものだった。牛子沢は産女川とほぼ平行して流れ、両渓の中間尾根の鞍部に消えていく沢だ。もともとこのプランBを選択する可能性のほうが高いと考えていた。入渓すると苔むした感じのよい、そして小さいながら魚影の濃い沢だった。藪沢の可能性が大と予想していたのでこれはラッキーだった。
滝はなくおだやかな沢歩きだ。そして天気がようやく良化してきた。一か所二俣があったが当然産女川に近い左俣を選ぶ。
すごい沢山キノコが生えてた。知識がぜんぜん無いので食べれるか分からない。なんかおいしそうに見えたけど。
水流はすぐに尽きる。地形図のC907あたりの鞍部を狙って登る。
沢形もなくなり、あっと言う間に背丈を超える藪漕ぎになる。周囲は地形的特徴に乏しく、時間的余裕もないので読図はGPS任せだ。C907の池をせっかくだから見て行こうかと思ったが、藪が濃くて諦めた。
しばらく我慢して進むと藪の切れ間から産女川方面が遠望できた。左が遡行図にも記載されている大滝だろう。右は何だろう。崩壊で新しくできた流れと思われた。本流は左だが荒廃した滝の巻きにはそれなりのリスクがあるだろう。右は半分樹林帯を流れておりリスクが低そうに見える。上部で本流に合流していると予想し、右の基部を目指すことに決めた。斜面崩壊に出るのを避けるため引き続き藪をつないで下降する。それにしても元の地形がどんなだったか皆目見当もつかない光景だ。
左の本流大滝のアップ。
右の基部についた。やはり新しくできた流れで沢形が不自然だ。登るのに苦労はない。
急勾配な部分を登り切ったところから振り返った。正面の真ん中あたりから藪をつないで下降してきた。我ながら斜面崩壊をうまくかわしてきたものだ。
右の流れは意外なほど水量が多い。また、本流に合流するため左に左に遡上すると思ったが、逆に流れは若干右めだ。どうやらこれは産女川には行かないらしい。しかし右岸は藪が密なため、よいトラバースポイントを見出すまで、少し水流を進むことにする。奥に見えるのが崩壊核心部の崖だ。
崩壊崖を目前にする。目を凝らすと崖からは何か所も水が噴き出している。それらが集まって右の流れを形成しているのだろう。その光景にはこの場所の不安定さを感じずにはいられない。容易に保水力の限界を超えそうな気配を漂わせている。大きな台風や地震がくれば、また崩壊していくのだろうか。
本流方面は土砂のリッジや不安定そうな巨岩が塞いでいるが、それらをまた藪をつないでかわしながらトラバースすると、どうやら本流らしき沢形に出た。岩に埋まり水は伏流している。
ようやく産女川に乗ったかと思ったが、まだ安心できる段階ではなくさっさと進む。
しかし沢形はあっと言う間に消えてしまった。沢形というより土石流が地層をえぐった跡だったのか。あれまと思って藪を漕ぐと、
大きな湖に出た。堰止湖のようだ。幅50m、長さ200mくらいか。この周囲は地形図の水線は意味をなさない。土砂の堆積に朽ち木が刺さっているような光景に異質の荒涼さを覚える。地震から10年以上ずっと刺さっているのだろうか。右岸側に一筋だけ枝沢からの水流が直接流れ込んでいた。それ以外に音や、気配のない場所だ。水際を下流側の末端まで歩いてみた。途中で何かの動物らしき足跡を見つけ、思わずホッとした気分になった。
産女川を真正面に見た。出合は遠目にも崩落に埋まっているのが分かる。右は崩壊核心部だ。
産女川へ向け荒れた水際を進む。
崩壊核心部をもう一度見やる。これでこの悲しい光景を見るのは最後になるだろう。
出合が近くなる。
出合から堰止湖を振り返る。
そして、崩落に埋まった産女川を見やる。5時間かかったが、やっと来た。ここはC900くらいだ。
しかしまだ休憩する気にはならない。巨岩登りで粛々と進む。どこまで崩壊しているのだろうか。巨岩の隙間に水流が復活する。
C940くらいでまた堰止湖。こちらは小規模だ。左岸をへつる。
その後、いっときかつての美しい渓を垣間見た気になる。奥に、
地層が剥き出しになった小滝。その上はまた崩落で埋まる。
C960付近、左岸からの崩落だ。そして、これが最後の崩落箇所となった。この上部からは、よく知られたいわゆる産女川になった。
曇り空に時折陽光が差してくれるが、生憎の逆光で写真がイマイチだ。キレイな写真が撮りたいんだけどな。周囲を警戒することなく、何度も足を止めて、渓を見つめ、写真を撮る。そう、もう恐れるものがない。いま、名渓と謳われた産女川をついにのんびりと歩いているのだ。
C1000の長ナメでようやく一本とって補給した。6時間近く休みなく動き続けてきたため消耗しているはずだったが、あまり食欲を感じなかった。アルファ米を無理やり食べた。行動食の袋を見たら、アルファ米ひと袋とスポーツ羊羹一本しか入ってなくて驚く。パンとか色々入れたつもりだったが、違う袋に入れてしまったようだ。まぁいいでしょう。10分ほど休憩してまた歩き出した。
その後は普通の沢歩きだ。どことなく屋久島の渓を小さくした感がある。ナメと小滝が連続し通過に困難なところはない。心穏やかに歩ける。紅葉真っ盛りには少し早かったが、その分夏と秋と二つの雰囲気を味わえる気がした。明確な支流を分けることもなく、歩くたび少しずつ水量が減っていく。
地盤がなんか赤くなったなと思ったら、奥に核心と言われる小滝。これは左岸の踏み跡で巻く。巻き道はよく踏まれている。ここを訪れる人がいくらかはいるのだと思える踏み跡だった。
C1200二俣。一本とってここで悩む。右俣へ進めば笊森避難小屋まですぐらしい。しかし水量比ほぼ一対一。地形図を見れば水線は右俣に描かれているものの、左俣のほうが栗駒山山頂へと向かっている。左に行きたいと衝動的に思う。うーむ。ラクな選択肢か、インスピレーションを得た選択肢か。結局、左俣を選択する。
右俣だから、左俣だから、という渓相の違いは特にないだろう。すっかり少なくなった水流が草原を割って流れる。標高を上げるにつれて、紅葉の色付きも見られる。が、さっきから再び天気が悪化し出している。
裏掛(新湯コース)登山道が横切るが、ここでは無視してそのまま遡行する。
やがてC1350くらいのこの水溜まりを最後に水は無くなった。あー、いま分かった。左俣を選んだのは、こっちのほうが長く歩けるからだ。
ガレルンゼとなった沢形を詰めると、
最後は2mの土壁。藪をつかんで力任せに乗り越える。
すると沢形もなくなり雨と風のなか藪漕ぎになる。
C1450で登山道に出た。時間はもう15時40分を回っている。急がねば。
しかし登山道に出ると緊張感がなくなって一気にヘロヘロになってしまう。あとちょっとで山頂なはずだが、永遠に感じる。
16:25にやっと山頂に着いた。何度目の栗駒山か忘れた。これまでの道程を思い起こし感動のひと時かと思いきや、見ての通り天気が一気に悪化し、強風で横殴りの雨だ。写真だけ撮って即下山にする。・・・が、
地形図しか見ておらず、昭和湖を経由する須川ルートを歩いていた。現在火山活動の影響で通行止めらしい。800m進んだ天狗平で通行止めを見つけ愕然とし、また800m戻る。30分のロス。そういえば以前この計画を立てたときは通行止めを確認していたが、山行中に忘れてしまっていた。地形図しか見ていないのも考え物だ。写真は紅葉していたもみじの赤。あたりは強風と雨だが。
そして紅葉と無駄に自撮り。どちらも暗く沈んでいる。そして寒い。こんな時間帯に間違えちゃってがっくりだよ。
再びの山頂。産沼への登山道を早足で歩く。
名残ヶ原らしい。晴れの昼間だったらさぞ気持ちのよいとこなんだろうな。
やっと須川温泉に戻ってきた。18時を回りすっかり真っ暗になってしまった。思ったよりも時間がかかったが、無事戻ってこれたのでよしとしましょう。とても長い距離を歩いた。せっかくの温泉には全然間に合わなかったが、源泉の遊歩道で勝手に足湯をすると冷たくなった足が温まった。そしたら、ようやく猛烈にお腹が空いてきた。
須川温泉(7:40)~桂川林道終点(10:30)~牛子沢入渓(10:50)~右支流入渓(12:00)~堰止湖(12:30)~産女川C900(12:45)~C960(13:00)~C1200二俣(14:45)~栗駒山(16:25)~須川温泉(18:15)
ルート☟
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C1000のナメで休憩しながら思い、この記録の駄文を書き連ねながら改めて思う。
美しい渓を流れる清冽な水があと標高差100mも下れば大規模崩壊に埋まっていくのだ・・。それ自体は自然のひとつの現象であり理であって、個人的な幾ばくかの感傷を覚えはするけれど、それ以上でもそれ以下でもない。思うのは、過去に聞いた美しい産女川を追体験するだけの山行ではなくて、いま、このようにして在る産女川を、この眼で見て、感傷を覚え、歩くことができてよかったな、ということだ。
しかし、”沢登り”では”遡行価値”という独自の基準があり、それは私がもっとも好きではない言葉だ。滝登攀や山域の難易度といった格付けは安全面から有用と思うが、遡行価値とはその渓の美しさ自体を格付けすることだ。こう言われるのだろうか。”産女川は崩壊したC960より下流に遡行価値はない”。なんて残酷な言葉だろうか。そして”遡行価値はない”という表現は、自然に対してなんて失礼なのだろうか、と思うのだ。
”いつかまたキレイな沢に戻ったら行きたい”と聞くことがある。崩壊した下流は地形が変わり、治山ダムが続き、過去の原生の渓に戻ることはない。その言葉は永遠に産女川には行かない、と言っているのと同じだ。そしてそれは”遡行価値がない”と重なって聞こえてしまう・・。
アンチテーゼのような感情が込み上げてくる。この山行はただ自分が持ついくつかのこだわりに従って計画し、可能なかぎり安全にと思って行動したに過ぎないが、下山し、帰宅し、山行中に思いとめたことを振り返ってみると、いかに自分が”既成の枠”と思っているものから抜け出そうともがいているかを自覚する。それは私自身がどうしようもなくマイノリティだから、に過ぎないかもしれないが、自分にとってはそれが自分なりの自然との付き合い方なのだろう。
栗駒山は母の実家からすぐ近くのお山で、子どもの頃から何度も家族で登ったことがあった。しかしながら、沢登りを始めて産女川に行きたいなと思った時は、もう岩手・宮城内陸地震の後だった。行ったことがあると言う山仲間からその美しさを聞くたび、とても切ない気持ちになった。思い出のある栗駒山の渓にいつか行ってみたかった。
行けてよかった。
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