隠レ蓑

お山の日記と、日々の懊悩

2025/8/9~11の備忘

擦り切れるほど何回も読んだ「関東周辺の沢」で、いくつか魅力を覚えたルートのひとつがこの谷だった。記録を見るのが稀なこの谷から山越えして、有名な北又谷を下降し、吹沢谷、相又谷とつなげていくライン取りは、そう難しそうではないのにもかかわらず、人跡も少なそうで、きっと静かだろうし、加賀藩の奥山廻りのさわりを感じながら歩けそうな温故知新の沢旅といった感じで、それもそれで魅力的だった。

実は計画自体は大分前に立てていたのだが、なんとなく行く機会に恵まれず10年くらい経ってしまっていた。長年の山仲間で大先輩のOさんと、釣りをしながら4日ほどかけてのんびり歩こうって話していたのだが、結局行けず仕舞いだったのだ。Oさんとは行けなかったが、今回、かわりに新しく出会った山仲間である後輩のSさんとIくんと3人で行くことが出来た。

私たち3人は、先週、先々週も山行を共にしていたのだが、それは今回のためであり、この山行が夏の本番だったのだ。私はリーダーだったので、本当に久しぶりに大きくプリントアウトした地形図に水線やリスク箇所など大量の書き込みをして、メンバー二人には主として雨天時に想定する種々のリスクやその対処、エスケープや撤退・停滞の判断基準などを細かく共有した・・。いや、したつもりになった、と言うべきか。これらは私個人の今時点の志向をもとにした認識を説明したに過ぎず、彼らには彼らなりの志向があり、認識が共通的なものになったとはあまり思わない。それより、半分くらいは、先輩リーダーという優越的な立場を利用して自分の意見を押し付けただけ、と言えなくもない。

ふつうはこんな雨予報だったら天気がマシな東北とかに計画変更するのかもしれないが、初日だけは持ちそうだったので、自分としては合理的に動けば全然大丈夫だろといった判断だったのだ。北又谷で雪渓に阻まれたのは想定外ではあったが・・。北又谷下降を諦め、犬ヶ岳に抜けるようルート変更をしたのは、初めから織り込み済みと言える。猛烈な雨のなかで追い込まれながらも、耐えて、力を合わせて頑張って進んでいって、最後までやり切る・・みたいなつもりは、はっきり言って1mmもなかった。クソ暑いので雨で涼しくなって歩けて最高!・・くらいの行動の幅にとどめ、時間と場所で判断して、栂海山荘にさっさと逃げ込む、というだけの話。事前にごちゃごちゃ情報共有した、その核心的な論点はただ一つ、追い込まれる前に栂海山荘に逃げ込んで屋根の下でゆっくりする・・、これが要は山行全体を通じた唯一の合理的判断のポイントなのだった。

結果としては、最初からこれでよかったのではと思うくらい、最適で楽しいライン取りになった、と言えなくもないのだが。何の挑戦的要素もないような安パイな山行を取り仕切っただけのリーダーに対して、彼らが心根でどう思ったかは分からないが、一方で、自分で言うのも変だけど、これはこれで結構登山が巧い者のなせる業と思うし、彼らも彼らでとても楽しんでくれていたように見えたのは、私にとっては大きな救いになった。

何とも言えない山行だった気がするが、これからも山と向き合っていこう・・。

 

は? 山と向き合う・・?

まったくもって取り留めもない話だが、「山と向き合う」とは何か、長いこと考えながら登山を続けてきた。それなりに経験を積んだ今、自分にとってのそれを人に対して言語化できる気はするが、たいてい誰に対しても言語化はしない。言語はそれ自体がある意味陳腐化そのもので、なるほどそれが正解なんですね、みたいな短絡的な帰結をあらかじめ与えてしまいかねないし、そもそも、山との向き合いは他人から言われてやることでもない。よって、それをあえて伝えてみたいと思う人がいるなら、言語ではなく、まずその人と一緒に山に入り、山という鏡にきみを映し出して、そこに何が見えるのか、きみの心がその根で山に何を求めているのか、見てみたら?などと、余白しかないような抽象的な言い方や接し方をしている。

しかしながら、そのようなつかみどころのない心の活動の連続が、あるときふっと一筋の煌めきと出会うことがあるのを知っている。煌めきは意図せず突然のことで、急になんか山が分かった気がする、山に受け入れてもらっている気がする、などという、カタルシスとも、勘違いとも、なんとも言い難い不思議な瞬間をもたらすのである。それは山を登り続けていれば誰にでもあるようなものではない。「山と向き合う」を繰り返したことが、ある時、ある場所で、山の本質とつながり合い、山の声が聞こえるようになった瞬間なのだと言える。という表現自体が陳腐だが、どっちにしてもその人にはもう言語は必要はなく、山に登ること自体と同じでいつものことになっているはずである。

・・もったいつけたような書きぶりだが、これは私自身の実体験を振り返ったみた、というだけのことである。よって、自分が感性でそう思ったことの蓄積が、登山の経験の蓄積とともに溜まり切っていって、あるとき火山の噴火のごとくある形に昇華したようなものであって、何の裏付けもないし、一人よがりと言われれば、確かに・・と自分でも反論できないと思う。ただ、もともと一緒に行こうとしていたOさんをはじめ、数少ないが、認め合い、深く付き合った山仲間とはこれで容易に分かりあえたのもまた事実である。いわば、これは人それぞれのさまざまな過程を言っているのであって、山の声が聞こえると思っている同士は分かりあえるものがある、ということか。なんて言うと、自分でもバカバカしい壮大な一人よがりにしか聞こえないのだが。

もはや若くもなく、登山者としての旬を過ぎた自分が、これからどうやって山と向き合っていけばよいのか。若い時分、暗中模索で山への激しい欲求を発散させる方法がよく分からず、無謀と言われて反発し、深く暗い澱みのなかを暗中模索で登っていたときのごとく、再びの暗中模索の山になるのだろうか。

でも、山への思いがまだふつふつと腹の底から湧き出てくる。これは何か。まだ死んではいない。