8/25~26 北岳バットレス第四尾根 with Wさん、そして広河原の思い出
【むかし見た広河原の風景】
広河原に来るのは、約20年ぶりである。
いまだに自家用車で入ってこれた時代の記憶が強い、この広河原。しかし、その時代の広河原がどんな風景だったか、思い出そうにも記憶にないのである。
思い出すのは、父との30年くらい前の登山。たしか僕は小学校低学年で、初めての広河原だった。
下山が遅くなってしまい、最終バスがもう行ってしまった後だった。夜叉神峠までなんとか車をとりに行った父と、暗くなった広河原でひとり父を待っていた子供の自分。
思い起こされる広河原の風景はいつも暗く、心細く、見えるのは車のヘッドライトだけなのだった。
・・でも、思い出した。そのとき登ったのは北岳じゃなくて鳳凰三山だった。南御室小屋はとんでもない大入りで、布団一枚に三人で足頭足頭足頭・・。子供ながらに、登山はかくも厳しいものかとカルチャーショックを受け、いろいろなことが大丈夫になったっけ。
夜の広河原に、やがて父が乗る車のヘッドライトが戻ってきて、父と再会できた安堵感。
父は暗闇に息子を残していくことになり、気が気ではなかっただろう。弱虫の僕が泣かずに待っていたことを褒めてくれた気がするが、僕は暗くなった林道にひとりで飛び込んでいった父を、むしろ心配していたんだ。
広河原の風景は、僕にとってはこういうことなのだ。
芦安から乗り合いタクシーに乗り、広河原についたとき、こじんまりとした観光地然としたその風景に、大きな感動も小さな感動も、なかった。
そうか、広河原ってこんな感じのとこなんだ、と初めて来たかのように思った。
30年前の鳳凰三山とは別に、いつだったか、同じように父と北岳に登った時に渡った吊橋。吊橋を先に行く父の背中を追いかける自分が、漠然と眼前に浮かんだ。しかし、それはただの幻かもしれない。記憶はまったくもってあやふやだ。思い出せば、約20年前、大学生の時に白根三山を縦走したのが、広河原に来た最後であるが、その時の記憶は、甲府駅でステビバしたこと以外、きれいさっぱり何もない。
過去は過去である。広河原にはもう自家用車では入れないし、僕もいい年こいたおっさんになった。
ただ、久しぶりの広河原にきて、思い起こされることがあった、ということだ。子供の時、実に多くの登山に連れて行ってもらった。大人になるにつれて子供の時のことは忘れてしまったが、ふとデジャブのように昔の風景がよみがえることがある。今日のように。
いろいろな風景を、いろいろな山に、子供の僕は残しているのだろう。ときに思いがけずそれと出会うことは、幸せなことだ。
【白根御池小屋と肩ノ小屋、そして親子登山】
白根御池小屋でテントを張り、上層にガスが立ち込める天候のなか、パートナーのWさんと、とりあえず登攀具を全部もって四尾根取り付きに向かった。朝7時に芦安を出たので時間はもう昼であったが、サイマルで登るつもりだったので、時間の問題はないはずであった。しかし、取り付きはガスの中でついに雨も降りだしてきた。
初日の登攀は諦め、Wさんは雨のなか山頂を踏みに、僕はテン場に戻ることにした。(Wさんはとてつもなく健脚で、雨のなか四尾根取り付きから八本歯を経て山頂を踏み、テン場まで3時間ほどで戻ってきた。)
戻る途中、僕は大樺沢二俣で、小学生くらいの男の子を連れたお父さんから、肩ノ小屋までの道のりを聞かれた。時間は15時。15時だぜ⁈
肩ノ小屋までコースタイムで3時間。ヘロヘロの男の子の歩きを見たら、少なくとも4時間以上はかかるだろう。2500mほどより上部はガスで風雨だ。標高を上げれば風雨は当然さらにひどくなる。気温もかなり下がる。日没後、そんななか子供を歩かせ、早くても19時台に小屋着?「ヘッデンは持ってます」とか、そんな次元の話じゃないんだよ。
「私にも子供がいるんですよ、私ならそんな無謀な登山を子供には絶対にさせない。今日は白根御池小屋に泊まらせてもらって、明日は天気がよくなるから、明日がんばれば」みたいな話を、非常に強い調子でした。お父さんはムッとされていた。周りの方と説得にかかったが、それ以上の会話は難しかった。
先に戻った白根御池小屋で、上述の男の子とお父さんを遠目に確認し、心からホッとした。子供がいなければ、あんなふうに強くは言えない。
とんでもない速さでテン場に戻ってきたWさんからも聞いた。16時台のガスと風雨のなか、3~4歳くらいかと思われる女の子が、泣きながら肩ノ小屋へ向け、登っていたそうだ。
親子登山とはいったい何だろう。
子供にとって親は、無条件に信じ、頼る存在だ。親もまた無条件に子供を助けなければならん。子供は登山など分からない。がんばって親についてくるだけなのだから。
・・・そんなふうには思うが・・、しかし・・・。
【フリーソロ、トレラン、様々な想念】
翌日はうそのように快晴。6時ごろ、ゆっくり出発した。
昨日はガスでよくわからなかったが、どうやらアプローチを間違えており、Bガリー大滝についていたようだ。都合よくつけられた踏み跡をトラバースして、下部岸壁まで移動した。
サイマルでと話していたが、Wさんから、天気もいいしフリーソロで行こうよ、と誘われた。Wさんは本当におもしろいパートナーだ。いいですね、そうしましょう!
2人でフリーソロというのも変な話ではあるが、第五尾根支稜から横断バンドを経て、Cガリーまでは行かずに、第四尾根下部のクラックから直登した。四尾根の取り付きで2パーティほどいらっしゃって少し待ったが、フリーということで先に行かせてもらった。
あっという間にマッチ箱まで着き、もうひとパーティ抜かせてもらい、短いナイフリッジトラバースから、城砦チムニー。チムニーはちょい濡れで怖く、ワンポイントだけデイジーした。
爽快ですばらしい時間を過ごさせてもらったが、2時間もかからずに、四尾根の登攀は終わってしまった。すばらしい時間であるとともに、余裕をもってフリーで楽しめるのはこれくらいまでだなぁ、と感じた時間でもあった。
北岳山頂で万感の思いで記念写真を撮り、 肩ノ小屋でWさんはビール。僕はコーラ。
ふと小さな女の子がいた。昨日泣きながら登っていた子だよ、とWさんが教えてくれた。
僕の3歳の娘と同じくらいに見えた。
「よくここまで頑張って登ったね!」と声をかけた。「こんな小さな子を連れてくるなんて親のエゴだ!」と思ったりもする。
どっちだろう。どっちも? 混乱する自分を感じた。
自分は3歳の娘を3000mに連れて行こうとは思わない。しかし、自分自身は親に連れられ、小さな頃から山を登っていたのだ。
肩ノ小屋から白根御池小屋までコースタイムで1時間50分。今度は僕がWさんに、トレラン気分で走りませんか?と誘った。ガンガン走り下り、30分ほどで小屋に着いた。
トレランも危険なアクティビティだ。フリーソロクライミングと同様に、雑念をはらい、高い集中力を維持し、自分をコントロールしなくてはならん。そのようにして、ともすれば様々な想念が湧き起こり、思い悩んでしまいそうになるのを止めたかったのだ。
時間は11時半。小屋から小屋まで、5時間半ほどの行動時間であった。
【下山、いま・むかし】
北岳山頂から白根御池小屋までの登山道で、昨日会った男の子とお父さんの2人の姿は見なかった。
広河原への下山中、この親子を抜かした。抜かせてもらった時、「すみません、ありがとうございます」とだけ言った。「大丈夫でした?」などとおせっかいなコミュニケーションはしたくない。
13時前だったので、きっと山頂は諦めてゆっくり下山にしたのだろうか。あるいはかなり早出して、山頂を踏めたのかもしれない。どちらでもよいのだ。子供が元気に下山できているなら。ごくごく普通の登山なら、山はそんなに逃げない。またいつか来ればいい。
親子登山。
自分が子供だった時の登山。
無謀登山。
一番冒頭で述べた、広河原への下山が遅くなってしまった、父との鳳凰三山縦走。南御室小屋に泊まって翌日に鳳凰三山の縦走であれば、広河原への下山が日没になるのはいくらなんでも遅すぎる。きっと僕の記憶違いなのかもしれない。
しかし、どこかの登山で、山小屋の人に「こんな時間に山小屋に着くなんて遅すぎる!」と怒られている父の思い出もある。
きっと多くの子連れ登山のなかで、経験豊かな方から「やめなさい」などとアドバイスされたこともあったかもしれない。
・・・そうなのだ、あの小学生くらいの男の子も、3~4歳くらいの女の子も、かつての自分なのだ。
その自分が、いま、経験者面をして、親子登山の人たちに対してあーだこーだと思い、一方で、自分はフリーソロで登ったり、走って下山したりしている。
自分自身としてはコントロールされていて問題ない、と思っているが、知らない人から見れば無謀と言われそうなスタイルで、お山と向き合っている。
しかし、僕はこんなふうにお山を登れるようになれて、自分は本当に幸せだと思っている。
すべては父が登山に連れて行ってくれたことから始まったのだ。
あの日、暗くなった広河原で、不安な気持ちで父の戻りを待っていた時間。その時間はかけがえのない時間だった。父の子として、またひとりの小さな登山者として、少しだけ前に進めた時間だった。
たくさんの山を登り、成長とともに忘れていった。でも、むかし見た風景は、いまも血肉として身についている気もする。少なくとも、むかしからいまに至るまで、登山はずっと好きである。風景はずっとつながっているのだ。
父が自分にしてくれたように、自分も子供たちを登山に連れていきたい、と思った。
僕は超過保護なので、まだまだ3000mは無理だが、できれば登山が、いや、お山の自然が好きな子になってほしい。
そして、広河原の風景は、いまはむかしのように暗くはない。目の前の、ありのままの広河原を写真に収め、はっきりと覚えている。
むかしの僕も、いまの僕も、ここ広河原から北岳を見つめたのだ。その姿が重なりあい、同じものになるのを感じた。
いま、はっきりと見える。
広河原に着いた子供は、父とともに、北岳に向けて意気揚々と吊橋を渡り、登り始めている。
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初日は予報通りガス。誰もがするように、とりあえず取り付き確認に向かった。
登れそうなら登ろうと思っていたので登攀具も全部持っていたが、あきらめた。ガスガスで視界が悪かったためアプローチも間違えていて、Bガリー大滝に来ていたようだった。
翌日はうそのような快晴。6時に出発した。
間違ってバットレス沢を詰めていた。基部の手前は緩傾斜の草地になっており、薄くC沢方面に踏み跡がつけられており、それをたどって下部岩壁までトラバースした。10分もかからず、7時25分に第五尾根支稜末端に着いた。悪い道のりではないが、ガレを横切るときは落石しないように細心の注意が必要である。なお、Wさんはいったん下りて正しいアプローチ道を拾ってきてみる、ということで、どっちが早いか競争してみたが、トラバースのほうが圧倒的に早かった。
下部岩壁。ピラミッドフェースに取り付いているパーティがいた。
7時50分ごろ、Wさんも到着し、第五尾根支稜から登り出した。
横断バンド。一か所だけ崩壊していて怖いが、登山道のようにしっかりしている。
Cガリーまで行かずに、四尾根下部の、トポにⅢと書かれたクラックから登った。ⅢではなくⅣだろう。
8時半。四尾根取り付き。先行パーティがいらっしゃって、少し待ったが、フリーだったので先に行かせていただいた。
四尾根のどこか。
これは核心となっている三角形の垂壁だろうか。
9時15分ごろ、マッチ箱。先行パーティを待って懸垂下降。最短距離で登るなら、懸垂はリッジ沿いに下り、10mにも満たない。
左にマッチ箱。ここで先行パーティ抜かせていただいた。
ちょっと怖いが短いナイフリッジのハンドトラバース。一瞬、八ツ峰Cフェースを思い出した。
城塞チムニー。中が軽く濡れていて、怖かったのでデイジーして抜けた。
出口からパートナーが顔を出すのを激写、の図。
9時45分、四尾根の終了。大好きな鳳凰三山がよく見える。大きなテラスで15分ほど休憩タイム。
踏み跡から登山道を15分ほど歩くと、北岳山頂についた。20年ぶりの山頂は、万感に思いが込み上げた。