隠レ蓑

お山の日記と、日々の懊悩

下又白谷前壁

 

朝7時前、うすら寒い高曇りのなか徳沢の手前で下又白谷を遠望。

 

ガレの谷に入る。数年前の台風で下流は大分荒廃が進んだらしい。また穂高地震による影響も大きい。

 

陽が差して快晴になる。小一時間ガレを歩き眼前に迫ってきた「前壁」を見やる。広大な前壁を正面にして谷は右に直角に折れる。

 

壁の真ん中あたり幾筋か水流の滴りが落ちている。冬はそこらへんを登るのかなぁ。僕たちが登ろうと思っているのは、壁の一番右端・・、F1の左壁だ。

 

わずかに雪渓の残骸を残すゴルジュのどん詰まりにF1が座す。その左壁を登り、壁の上端から谷に沿って伸びる藪の尾根へと入っていくつもりなのだ。これは57年前、下又白谷が未踏の谷だった時代に、山岳巡礼倶楽部の先人が谷の全貌を偵察するために登った「山巡稜」と名付けた藪尾根で、ひょうたん池の近くに上がっていくらしい。「らしい」というのは、登られたのはその1回きりで、僕たちは57年ぶりにそれをトレースしようとしているからだ。その時の記録は読んだが、目の前の光景と何ひとつ一致しない。初めて登るくらいの気概が必要なようだ。

 

あそこまで行けるだろうか。

 

下又白谷F1。

 

頼もしいパートナーのAさん。ルートファインディング。どう考えても容易そうなラインはない。いきなり勝負になるだろう。一応言っておくけど、リードはぜーんぶAさんにお任せである。Aさんは件の山岳巡礼倶楽部の現代表で、下又白谷では菱型スラブをふくめ何本も初登した猛者。僕は実は数年前から下又白谷を計画し続けてきたのだが、天気その他の理由で実現せず、今回Aさんに頼み込んでようやく来れた身分。手も未だリハビリ中だし、壁を前にお呼びではないことを悟った・・。フォローで頑張ってついていこう!

 

1P、40m。崩壊面にそっと足を乗せ重心移動するのがいきなり恐ろしい。崩壊ゾーンが終わると岩は比較的硬いが泥砂の堆積が多くなる。がちゃがちゃした岩がせり出し前傾したポイントをナッツを決めて乗り越えると、あとは泥砂スラブを慎重にこなし、短いバンド状の草付きを右にトラバースして切った。

 

2P、20m。バンド状草付きを戻る形で左上すると、年代物のリングボルトが一本打たれた甘い凹角を直上する。凹角は岩のせり出しの分若干前傾しており、Aさんはフリーで抜けたが僕はA0で強引に乗り込んだ。後は傾斜が落ち閉じていく凹角をバランスの悪いスラブ登りでこなし、短い草付きの奥にぽっかりと空いた印象的な洞穴状のテラスに出て切った。なんと!Aさんはこの洞穴は2回目という。フォローなのに僕はいっぱいいっぱいで、凹角と洞穴の写真は撮り忘れた・・。残念!

 

3P、45m。洞穴から右側の傾斜が強めのスラブに出ていく。弾き出されそうな露出感がある。スラブはどスラブで、10m弱ほど上方には明瞭なバンドが通っている。そこまでハーケン一本で、のっぺりした面にわずかに存在する角度が緩いポイントにクライミングシューズをこすり付け、乗り込んでいった。バンドに上がれば、あとはロープほぼいっぱいまでトラバース。残置ボルトで切った。

 

4P、40m。このバンドをトラバースし続ければF1落ち口に至るようだが、フェース面を直上する。全ピッチ中もっとも傾斜が強い。全体を通じてカムは使えるところがほぼなく、微妙なバランスでハーケンを打つ。残置が2か所見られた。幾度も行きつ戻りつしてルートを見定め、最後はハングした木登りで残置ボルトが残されたテラスに出て切った。フォローの僕は執念でなんとかハーケンを回収し、木登りのところでは叫びながら登った。

 

あとはほんの数mの藪混じりの岩をこなせば「山巡稜」だ。しかし、・・

 

Aさんが木登り中に携帯電話を落っことしてしまったのが発覚!一大事!僕にとっては渡りに船?!力強く「降りて携帯を探しましょう!」と言った。二人で上と下に分かれて血眼で探す。「あったー」とAさんの声が下から聞こえた。よかった、バンドの藪に引っかかっていたようで、携帯は無事だった。

時間は13時・・。登り返してこのまま藪尾根に突入すればビバークの可能性が大と思われた。日帰り装備しかないがビバーク覚悟で突っ込むか、壁だけで終わりにしてこのまま降りるか。いや、悩んだ時点で降りるという結論が出ているのは明らかで、そうなればさっさと帰って宴会しよう!となるわけ。

「山巡稜」を眼前に、懸垂下降。行けてたら、どんな光景が見れたのだろう。

 

はぁー、ビビったし、マジ疲れたわ・・。

 

下又白谷。また来れるだろうか。

 

登ったライン。右端にF1が見える。③と④は2点リングボルトの残置だった。これは件の山岳巡礼倶楽部ではない先人が残したと思われた。全体を通じてカムはほとんど使えず、ハーケンが主体になる。「山巡稜」をトレースすることはできなかったが、このおそろしい下又白谷の壁を全身全霊を尽くして攀じることができて、しかも日帰り。大変すばらしい経験ができて、Aさんに心から感謝。

 

 

なお、詳細を知りたい場合はAさんの記録をご覧になったほうがよいでしょう。

 

 

上高地(5:10)~下又白谷出合(7:10)~前壁、取り付き(8:20-9:10)~下降完了(13:50)~出合(15:15)~上高地(16:40)

装備:ダブルロープ50m*2、ハンマー、ハーケン各種多め、カム1セット、ナッツ少し、スリング多め

ルート☟