友人が2016年に書いた記録を転載します。(転載元はある山岳会のブログでしたが、不注意でデータを消失してしまったそうです。ネットアーカイブからテキストデータを復元し写真を追加しました。友人との大切な思い出だし、記録も貴重なものなので、この場所に残したいと思います。)
3B、NY
ここ何年か温めていたプランを実行しました。
鹿島槍北壁に通い続けるうちに、いつしか「大谷原から沢を遡行してカクネ里に出て、そこから北壁を登ったらきっと充実するだろうな」という気持ちが、心のどこかにありました。実行するなら無雪期。重荷を担いで大川沢を遡行し、記録もほとんどない夏のボロ壁を登るこの計画に付き合ってくれる人はそうそういません。パートナーが見つかるまではお預けかなと思っていたところ、案外早く、この上なく心強い物好きが見つかりました。NYさん、5.13クライマーの沢屋さんです。
【9/3(土)曇り】
7:00頃に大谷原駐車場を出発。無雪期の鹿島槍は、縦走を除けば初めて。残雪期とはまた違った風景を楽しみながら、まずは荒沢出合を目指す。本来なら荒沢手前にある取水口に辿り着くまでに何度か渡渉があるはずだが、治水工事?の手が入っているのか、工事用車両が通れるようにいくつかのポイントが埋め立てられており、結局1度の渡渉もなく取水口に着いてしまった。埋め立てが恒常的なものなら雪のシーズンの渡渉もなくなり、大幅な時間と手間のカットになるだろうと思われるが、複雑な気持ちもある。
取水口を越え、荒沢出合を過ぎると本格的な大川沢の遡行が始まる。といっても、水量はおそらく平時の半分くらいだろうか。残雪期のほうが多いくらいだ。ただ、雪渓を抱えた沢だけに、水は冷たい。今回はファイントラックのフラッドラッシュ上下&カミノパンツという装備にしたが、この冷たさを考えると、完全沢仕様で正解だ。
沢登りというよりも沢歩きを楽しみながら進むと、山屋か釣り師か定かではないが、先人が残置したFIXトラロープが何本か。水量が多いときは助かるのだろう。
ようやく沢登りらしくなってきたのは、ニゴリ沢付近から。名前のイメージと異なり、出合は美しいゴルジュが印象的だ。広河原を過ぎ、白岳沢出合に近づくにつれて、沢はその深さを増していく。水量が少ない今回でさえなかなか難儀した場所がいくつかあったが、水が多いときは一体どんなだろう。
何カ所目かのポイントを上がろうとしたとき、腰にぶら下げたショートバイルが無くなっていることに気づく…。途中までブラブラさせているのを覚えているというNYさんと2人で沢を戻り、しばらく探すが見つかる気配がない。ショックだ…。ショートバイルがないことには、カクネ里の急な雪壁を登るのは難しい。もともと考えていた主稜の登攀はこの時点で却下、2次プランであった洞窟尾根に切り替える。大事な装備を無くして落ち込んだモチベーションも切り替えなくては…。
大川沢の一番の難所は、白岳沢出合の手前のゴルジュだった。NYさんが左岸の切り立ったのっぺりした濡れた壁を上がろうと試みるも、プロテクションもセットできない状態では危ないということで下りてきた。ならば右岸からということで、悪い泥壁をトラバースして上部に移動。そこでプロテクションをセットし、自分はザックを上げてもらい空荷で正面の壁を適当に上った。ここは水量が多いとかなり苦労しそうな感じだ。正面突破はまず無理だろう。
出発から5時間弱(うち1時間くらいはバイル捜索のロス)で白岳沢出合に到着。かつて、鹿島槍北壁や荒沢奥壁、北岳バットレスで次々と初登攀を成し遂げた小谷部全助氏が泊まったという岩小屋があるはずだが、自分は気づかないまま進んでしまった。NYさんによると、出合の少し手前の右岸藪の向こうに大岩があり、その下が平らだったそうだが。
自分が気になっていたのは岩小屋よりも、カクネ里の手前にあるという大滝だった。2008年6月に大川沢から北壁を登攀したY魂・A島さんの記録によれば、滝が雪で埋まっていれば難なくこなせるが、全助氏曰く、大滝が出ていると苦労するかもしれないということだった。そんな(数少ない)記録を読んでいたものだから、大滝の存在には少し構えていたのだが、全助氏の時代から幾月も時が流れたせいか、滝はガレで埋まっており、「大滝」と呼べるようなものではなくなっていた。少し寂しい気もするが、楽に滝を越せたことに感謝しながら、いよいよカクネ里が近づいてきた。
途中、ピンクテープが木や石に巻かれていたり、何らかの測定機器を見つけたが、これはおそらく氷河調査のためのものだろう。肝心の氷河と言えば、昨シーズンの異常なまでの雪の少なさのためか、かなり小規模。というか、しょぼい。おまけに北壁はガスがかかっていて全貌が見えない。残念ではあるけど、沢からカクネ里に到達できたことに満足感を覚える。
この週末は天候が怪しかったため、土曜のうちに北壁を登ってしまい、冷池山荘で幕営するか、可能なら下まで下りてしまおうと考えていた。ところが、自分が沢の途中でバイルを落としてしまい、1時間ほどロスしたせいで、1Dayは難しくなってしまった。とはいえ、もともとは「カクネ里でツエルトを張り、焚き火をして酒を飲みながら北壁を眺める」というプランだったので、2人で話し合った結果、当初の計画に立ち戻ることにした。
幕営適地を探しながらカクネ里を詰めていくと、先人が残したであろう一斗缶や、どこから飛んできたのか、謎のゴルフボールなどを発見。雪のシーズンに誰かが落としたバイルでも見つからないかと思ったが、さすがにそんなものは見つからなかった。
カクネ里の左岸側にちょうど良い場所があったので、ゆっくりビバーク体制に入る。今回のツエルトはファイントラックのツエルト2ロングなので、男2人でもしっかり横になって寝ることができる。銀マットの代わりにエマージェンシーシートを敷いたが、これが下からの湿気をカットしてくれるのでマット代わりに使えることが分かった。
ツエルトを張り終えると、次は焚き火の準備だ。沢屋として焚き火に執念?を燃やすNYさんのおかげで、沢で濡れた装備もほぼ完璧に乾かすことができた。NYさんは、「新聞紙1枚半で着火できた」と喜んでいる。
誰もいない圏谷で、焚き火を囲み、酒を飲む。こんな幸せなことがあるだろうか――。ずっとガスに覆われていた北壁も、夕方になると時おり姿を見せてくれた。やはり上部の雪渓はかなり割れている。蝶形岩壁、主稜、正面ルンゼ、正面尾根、中央ルンゼ、直接尾根と、雪のシーズンには見慣れたルートも把握できた。夏は夏で登り甲斐がありそうなところばかりだ。
「ここで幕営を決めて良かった」
2人で他愛もない話をしながら、極上の時間を過ごす。明日の天気を祈りつつ、19時半就寝。
【9/4(日)曇り後雨】
4時起床。幸い、寝ている間に雨も降らず、快適な睡眠だった。雪渓の冷気がツエルトの隙間から入ってくるため、肩口が少し寒かったが…。さっそくNYさんが焚き火を起こす。僕はツエルトの中でコーヒーを沸かしながら、今日のプランを考えていた。実は、昨日から左膝に痛みがあり、曲げるのが辛かった。この痛みはこの前の週、釜ノ沢のホラの貝ゴルジュに行ったときからあったもの。平地では問題ないが、重荷を背負った山行ではやはり痛みが出てしまった。とはいうものの、大川沢を戻るという選択肢は今のところない。
ツエルトの外に出て朝食をとりながら日の出を待つ。北壁にはガスがかかっており、なかなか全貌は見えないが、明るくなるにつれてガスも晴れてきた。モルゲンロートもバッチリだ。心配された天気も、何とかもちそうだ。装備を整え、6時出発。
まずは取り付きまでカクネ里を詰める。雪渓は小さいものの、剱沢雪渓や一ノ倉沢の雪渓とは異なり、硬い。氷河と目されているのもうなずける。途中、雪渓の傾斜が出始めたところでアイゼンを装着。今回、僕はチェーンアイゼン、NYさんはアルミアイゼンという装備。チェーンアイゼンは登りは良いが、下りは刃の短さがネックになってしっかり踏ん張らないとスリップしそうな感じ。NYさんのアルミアイゼンは調子が良さそうだ。ガレ混じりの雪渓を進む。
当初、僕らは洞窟尾根の末端から取り付くつもりだったが、実際に取り付き近くまで行ってみると、大きなシュルンドが開いている。とても取り付くのは無理だ。そこで、第二案として考えていた、尾根右側のルンゼからの取り付きに切り替えた。ルンゼ方向の雪渓には大きなシュルンドが2本開いている。僕は何とはなしにその間をトラバースしてみたが、雪渓の硬さとチェーンアイゼンの弱点がマイナス方向に働いているようで、意外に悪い…。慎重にシュルンドを通り抜けて安全な場所まで移動する。後続のNYさんにはシュルンドの下から回り込んで移動したほうが安全と伝える。
7時半、洞窟尾根に取り付く。とりあえず、ルンゼの左側の側壁(=尾根の右側)を登りながら適当に取り付ける場所を探してみる。ちなみに足回りは沢靴(ファイブテン・ウォーターテニー)のままだが、なかなか調子が良い。洞窟尾根らしき尾根を左に見ながら、急な草付を上がってみる。尾根全体はガスっていたためよく分からなかったが、おそらく「三角岩峰」らしき壁の右側を回り込んでみると、急な草付き混じりの壁が出てきた。適当なところで支点を作成し、アンザイレンをする。この壁はなんと言ったら良いのか、とにかく悪い(アンサウンド)。岩はもろく、草付は濡れている。支点となり得る灌木もきちんと選ばないと危険だ。とりあえず、僕が1P50mほど伸ばしてピッチを切る。体感グレードは「Ⅴ級K」。ちなみにKは「草付き」の略、勝手につけてみた。
「いやー、悪い壁ですねー」と軽口を叩きながら、NYさんが登ってくる。5.13クライマーの沢屋さんでも、悪いと思うのか。などと感心してみたりする。後で聞いた話だが、いわゆる全荷を背負っての壁の登攀は、この洞窟尾根が初めてだったという。意外というか、珍しいというか。
続いて、NYさんがピッチを伸ばす。1P目でルンゼの真ん中に入ってしまったので、尾根に近づこうと左斜めにルートをとって軌道修正する。草付の壁を左上すると、比較的しっかりとした岩場に出た。NYさんはその上にある草付きの手前でピッチを切っている。左側には尾根がみえるが、果たしてリッジに上がるべきか否か…。少し考えた後、リッジには乗らず、もう少し尾根の下側を進んでみることにする。
高度を上げるにつれて、僕らを包み込むガスはその濃さを増していく。時折、ガスが切れて青空が除いたり、北壁の他のルートも見えたりしたが、基本的には文字通り五里霧中の登攀だ。そういえば、数年前のゴールデンウィークに主稜を登ったときも、終始ガスの中だった。
3P目以降は、しばらく草付きのルンゼを進む。これが案外曲者で、傾斜が増してくるとしっかり足を蹴り込まなければスリップしそうな不安がある。しかも、中間支点をとれそうな木も少なく、かなりの距離をノープロテクションで進まなくてはならなかった。僕らはその間、ロープを結んだまま登り続けたが、1人が落ちればもう1人ももろとも墜落してしまうリスクがあった。
ようやくしっかりした木が見つかったのは、ルンゼ状の壁から洞窟尾根のリッジに上がったところだった。時刻は11時。かなり高度を稼いだので、稜線まではもう少しのはずだ。相変わらずガスに覆われていて、壁は見えない。
リッジに上がってからは、ところどころで中間支点をとりながら同時登攀で進む。壁の下部に比べると、傾斜も落ちてきた。しばらく登り続けると、ふと目の前の視界が開けてきた。と、そこに一般登山者らしき人が。「ここって稜線ですかね?」と尋ねると、そうだという。どうやら壁を抜けたらしい。後続のNYさんを(形だけ)確保しながら待つ。11時40分、終了点。取り付きから4時間強。途中、ルート選択に迷ったりしたことを含めれば、まあこんなものかな。NYさんと無事に抜けられたことを喜び、握手を交わす&記念撮影。
ガスに覆われた稜線をのんびり歩きながら、鹿島槍の山頂を目指す。北峰は膝が痛いので省略。13時25分、南峰到着。稜線に上がったところで出会った単独登山者は、大正時代に描かれた画の場所を探し求めて縦走しているのだという。人それぞれ、山の楽しみ方があるものだ。
とりとめのない話をしながら、そして、鹿島槍の余韻に浸りながら下山を続ける。途中、赤岩尾根に差し掛かった15時過ぎくらいから土砂降りの大雨に。笑ってしまうくらいの降り方だけど、後は駐車場に戻るだけなのでずぶ濡れになりながら下り続ける。僕らが登ってきたルンゼは、今頃は沢になっているのだろう。登攀中に悪天に捕まらなくて幸いだった。17時20分、無事に大谷原駐車場に到着。雨はいつの間にか上がっていた。
「もっと冒険的な山をやりたい」
こう思うようになったのは、ここ数年のことだ。冬の目標は書ききれないくらいあるけど、夏はこれといった目標もなく、瑞牆や小川山でクライミングをしていた。何年か前、奥只見にある貝ノ嵓スラブを登ったことから、山深い場所にある奥壁に興味が出てきた。そこからだ。夏の鹿島槍北壁に目を向けるようになったのは。冬期登攀も夏の奥壁も、総合力が求められる。自分の持てる力を出し切って山と向き合う。そんな山が僕は好きなのだと思う。
「先人の足跡を辿る山ですね」とNYさんは言う。鹿島槍北壁には小谷部全助氏の偉大な記録が残されている。冬の目標として温めている北岳バットレスや荒沢奥壁にも、全助氏の足跡をみてとることが出来る。先人がどのような想いを抱いて山に入っていったのか、そのようなことを考えると、敬意を抱かざるを得ない。
それにしても、今回は本当に楽しい山だった。気の合うパートナーと素晴らしいルートを辿ることが出来て、僕は幸せだと思う。